ふるはしかずおの絵本ブログ3

『 かみなが ひめ 』- 「道成寺縁起」にもとづく昔話

有吉佐和子さんの文章、 秋野不矩さんの絵です。

読者の理解のため、 有吉佐和子さんの「あとがき」を先に紹介します。
「道成寺は文武天皇の勅願寺で、その縁起は、ここに紹介した、『かみながひめ』の物語がもとなのです。道成寺に残る資料によれば、日高の村長に生まれた女が、母親の犠牲によって丈なす黒髪にめぐまれ、やがて、藤原不比等の養女となって入内し、文武天皇の妃となり、聖武天皇を出産したことになっています。」

     ・・・

昔、

紀の国 日高の里に

美しい おんなのこが 生まれました。

すくすく育ちましたが、髪の毛が生えません

母親は、悲しみ、

神仏に祈りますが、効果がありませんでした。

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その頃、

海が荒れ、夜になると

沖に、ひかりものが出ます。

漁師たちは さかなも取れず、暮らしにこまるようになりました。

母親が、ひかりものを 取りに行くと 名のりでます。

子どもの髪が生えないのは、

自分のこれまでのわがままのせいだろう、

皆のために、海に入ってひかりものを 取ってくれば、

神様が 許してくれるかもしれない、と考えるのです。

     ・・・

母親は、

気を失い、浜に打ち上げられます。

髪の毛が 重いのに 気づきました。

見ると、小さな 金の観音像 が出てきました。

しかし、母親は ひっそりと 息をひきとりました。

里の人々が 彼女を葬って、

観音像を祀ると、

くりくりぼうずだった女の子に、髪がはえはじめたのです。

 

 なんという うつくしい かみだろう。
 なんとまあ、ながい かみだろう。
 やがて、ひだかの さとの 人びとは この 女の子を 

 かみながひめと よぶように なりました。

    
かみながひめは、日ごとに美しくなり、

お母さんの命と引き換えに、もらった髪を

切ることもなく、

抜けても捨てず、

桜の木の枝にかけておきました。

     ・・・

ある日、

ツバメが、その髪の毛をくわえて、都の方へ飛んでいきます。

ツバメは、毎年、都の藤原不比等の屋敷に、巣を作っていました。

不比等は、ツバメの巣にその長い髪の毛を見つけました。

不比等は、

きっと美しい姫に違いないと思い、姫を探させました。

やがて、かみながひめは、不比等の屋敷に住むようになり、

天子から妃にと乞われます。

天子は、

かみながひめの願いを聞いて、

日高の里に、彼女の母と観音様を祀る 道成寺を建てたということです。

「道成寺縁起」と言えば、安珍・清姫の伝説が有名です。
若き僧・安珍に恋の炎を燃やした清姫が、裏切られたと知るや、大蛇となって安珍を追い、最後に道成寺の鐘の中に逃げた安珍を焼き殺すという仏教説話です。能、歌舞伎などで知っておられる方もおられるでしょう。

 

有吉佐和子(1931年-1984年)さんは、道成寺が「安珍・清姫の伝説」で有名になっていることを残念に思っていたようです。「清姫の火の恋よりも、この縁起にみられる母の祈りや、いかにも南紀らしいおおどかな風土を感じさせる髪長姫の物語のほうが、はるかに美しくおもわれますし、好きなのです」と「あとがき」に書いています。

 

また、絵は秋野不矩(あきのふく、1908年-2001年)です。雅やかな日本画ですが、金の観音像が出てくる場面(上の絵)には深い祈りを感じます。浜松市天竜区二俣町出身。同地に建築家の藤森照信氏の設計による秋野不矩美術館があります。

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※『 かみなが ひめ 』有吉佐和子作、秋野不矩作、ポプラ社、1970年 (2021/9/10)

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