ふるはしかずおの絵本ブログ3

『リリアン』- 夢現一如の世界です

山田太一と黒井健の大人のための絵本です。舞台は60年以上も昔の東京。「私」が回想するファンタジーの世界です。

     ・・・

私は、自分のまわりの地面に、チョークでマルを描いていました。

女の子が聞きます。

「このマルはなに?」

このマルのなかへ はいっちゃダメ」。

「ユウちゃんならいいけど」

「私はダメ?」

「ダメ」

すると、

女の子が、すーっと宙に浮いたのです。

 ( 宙に浮いた? ファンタジー?)

 (いいえ)

女の子を抱き上げたのは、大きな男でした。

     ・・・

2, 3日たった夕方、また女の子がやって来ます。

そして、

つぎの夕方も、女の子は、私のマルに入っていました。

ふたりは話し合います。話し合いの中で、私」の友達の「ユウちゃん」が、肺炎で亡くなったことが明かされます。「私」は「ユウちゃん」の死を受け入れることができないでいるのです。空想する世界に閉じこもっています。

空想する世界のなかで、私は女の子と出かけます。

そして、悪いやつをなぐり、

子どもばかりの街を歩き、

花でいっぱいの小船に乗るのです。

    ・・・

「私が、かわりの友だちになってあげる」

女の子は、「ユウちゃん」に変身し、「ユウちゃん」はニッコリ笑います。

「あッ」

「ユウちゃん」が声をあげ、「ユウちゃん」が宙に浮いたのです。

「ユウちゃん・・・」

しかし、宙に浮いたのは、女の子でした。

 (私のこころが作り出した世界です)

あの怖い顔の大男が、女の子を抱きあげたのでした。

      ・・・

大男は腹話術師でした。そして、女の子は腹話術の人形でした。私の世界の中で、現実と想像の世界はないまぜになっています。

     ・・・

四月、私が小学校一年生になった時、大男と街で出会います。

「新しい友達は、できたかい?」

「少し」

「そうだな。いくらユウちゃんがよくても、死んだものは帰ってこない」

夢と本当は違うんだ。ごちゃまぜにしちゃあいけない」

「おじさん・・・その人形の名前は、なんていうの?」

「リリアンだよ、坊や。リリアンだ」

リリアン。

六十年以上、むかしの話です。私はいまでもリリアンが少しぐらい、自分で動いて、自分でしゃべったにちがいないと思うのです。

 

リリアン。

 

     ・・・

大人となった「私」の視点から、子どもだった時の思い出が語られています。複合視点です。視点の二重性が読者の体験を複雑にします。また、私の内(夢)と外(現実)のイメージがないまぜになり、不思議な時空間が流れていきます。

 

夜でもなく昼でもない夕方という時間の設定、視点人物が小学校にあがる前の私であることもファンタジーを支えています。殻にとじこもった私の世界の中では、現実と想像の世界が行ったり来たりしています。その世界で私の願望は実現し、亡くなったユウちゃんまで出て来ます。 奇妙な世界です。そして奇妙な体験をします。

 

「夢と本当は違うんだ」(大男の言葉)。

 

でも、絵本の「私」が思っているように、また大人のわたしたちにとっても「夢と本当は違う」けれど、夢と現実、過去と現在そして未来は地続きのように見えます。わたしたちは過去とも様々な関係を持ち、想像の世界のなかで様々な時間・空間の世界を行き来して生きています。夢現一如の世界はわたしたちの心の世界です。

       ・・・

※『リリアン』 山田太一作、黒井健絵、小学館 2006年  (2022/1/20)

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