ふるはしかずおの絵本ブログ3

『 かもとりごんべえ 』- 作者の人生論を語る一人称、わしの視点

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この絵本の語り手は、「わし」。
ごんべえが、語り手として登場します。
一人称視点です。
     
いまのよに だれしらぬもののない かもとりごんべえという
おとこは、なにをかくそう このわしのことなのさ。

     
ある日、
わしは、一度に 九十と九羽のかもを 捕らえた。
でも、かもたちは、ぱっと飛び立ち、
わしは、雲の上。
いきたここちもなく、目をつぶったまんま しっかりとひもを つかまっておった。
落ちたところは、なんと、
阿波の国 の
淡路島 の
粟の なか。
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つぎは、粟の穂で 弾き飛ばされ、また、空の上へ。
わしは、きもののすそに しがみつき・・・
でも、
けろろん、ろんろん と飛んでいった。
     ・・・
そして、
覚悟をきめて、どこかの傘屋町に 落ちることにした。
こんどは、つむじ風が、傘の柄につかまっていた わしを吹き飛ばし、
また、空の上へ。
でも、3回目。
せっかくのことだ、とぶだけとんでみよう という気になった。
落ちるなら、京の都と決めた わし。
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でも、降りかたが、ちょいとまずく、五重塔のてっぺんに 落ちてしまった。
ええ、ままよ。
まっさかさまに飛び降りた。
ごっつん、ぱっ
     
目から火がでて、なにもかも、もえてちまった。
のこったのは、わしのはなしだけ。
あっはははは。

     
「かもとりごんべえ」は、一般に笑話、ほら話に分類される昔話です。それを、わし(一人称)の視点で再話しています。一人称視点は、わたしが語り手で、わたしのことを語りますから、わたしの心のうちを十分に描くことができます。しかし一方で、客観描写は、わたしの主観に彩られてくるという特徴があります。
この絵本の場合、ほら話ではありますが、わしの心情の変化を描きだしています。空に舞い上がることを繰りかえすうちに、いきたここちもなく → けろろん、ろんろん → せっかくのことだ というように、ごんべえ(わし)は、だんだん肝が据わってきます。運命を主体的に切り開こうとする人物に変わっていきます。
作者は「あとがき」に次のように書いています。
       ・・・
「語り手である「わし」の口をかりて、作者である「わたし」の人生哲学、あるいは人生論とでもいったふうなことを語ってみた話と考えていただけたらさいわいです。」(ゴチック体は私の強調です)
      
「はじめはただ、状況に流され動かされるだけの人間がやがて自分を動かし、流すその状況に身をまかせながら、しかし状況にのっていくような主体性をいつか生み出しているとでもいった姿を「内」と「外」からはさみうちにして、とらえ描き出してみたかったのです。」
      ・・・
笑い話のなかでも、人生論を語れるんですね。
そして、このように語るなんて!
      ・・・
※『かもとりごんべえ』 西郷 竹彦作、瀬川 康男絵、 ポプラ社  1968年 (2016/9/15)

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