ふるはしかずおの絵本ブログ3

虚構の世界に生きる子どもたち-自分自身を客観的にみる

 中川李枝子さんの童話に「くじらとり」という作品があります。ちゅーりっぷほいくえんのほしぐみの子どもたち。おとこの子たちは、積み木で船をつくりました。船の名前は「ぞうとらいおんまる」。みんなは、くじらとりにでかけます。海のまん中にでました。どこをむいても、うみとそらばかりです。

    

子どもたちとくじらの楽しい会話がつづきます。

 

 「よーいしょ、よーいしょ、ぼくたちは、つよいんだ。くじらなんか、まけないぞ!」

         ・・・

 「くじらさん、きみのくわえているのは、てつぼうだよ。たべられませんよ」

 と、きゃぷてんがわらいました。みんなもおかしくてわらいました。

「ちぇっ、つまらない。」と、くじらはおこって、てつぼうを口からはなしました。

そして、せなかから、しお水をいきよいよいくふきあげました。

「うわーい、たいへんだあ!」

「ぺっ、ぺっ、しょっぱいよう。」

「びしょぬれだあ。」

みんなは、しお水をあたまからかぶって、かんぱんの上をにげまわりました。

「あっはっは……」

 くじらはせなかをゆすって、大わらいしました。 

   

くじらにしお水をかけられて、「ぺっ、ぺっ、しょっぱいよう」、「びしょぬれだあ」。子どもたちは、しお水をあたまからかぶって、かんぱんの上をにげまわるのです。 子どもたちの実際のすがたが反映された作品でしょう。子どもたちは、現実と空想が一体となった世界で、くじらとりあそびしています。中川李枝子さんは、現実と空想のあいだに境界をつくらず、一元的な世界として子どもの世界を描きだしています。子どもたちにとって、現実と空想はべつべつのものではなく、ひとつのものなのです。

 

この童話に見るように、子どもたちは、実際のくじらとりごっこのような遊びにおいて、現実の姿をそのままに、忠実に模倣しているのではありません。現実の姿によりながら、また現実をふまえながら、じつは現実を超えて、自分たちの理想や欲求を演じているのです。子どもは、現実の世界にいきるだけでなく、虚構の世界を創造しています。児童文化が保育においてもとめられるのは、こうした子どもの存在があるからです。

     

虚構の世界とは、現実をふまえて現実をこえるところに成り立つ世界です。私たちには見えないことを、あるいは関係なかったことを、目に見せてくれる、考えさせてくれる世界です。子どもたちは想像力を羽ばたかせ、豊かなイメージを思いえがきます。そして、そのことによって、さまざまな体験(うれしさ、悲しさ、たのしさ、うたがわしさ、不安、緊張、喜び、期待、想像、安心、そしてこれらの感情のないまぜになった芸術的体験)をするのです。

 

子どもは、虚構の世界のなかで、 舞台を見るように歴史を体験したり、 空を飛んだり、 海の世界の厳しさと楽しさを体験したり、 愛する者と別れる悲しみを体験したりします。 たとえていいますと、虚構の世界のなかで、別の人生をいきるようなものです。

 

ジム・トレリースは『読み聞かせ、この素晴らしい世界』のなかで、つぎのように言っていました。

 

 「創造性の魂、すなわち想像力を刺激するのは、フィクションの現実からの飛躍を通してのことである。たとえば自分を、白雪姫や、バッターボックスに立つケイシー、あるいはマイク・マリガンに置き換えることによって、子供は現実から飛躍する。そしてこの置き換えによってこそ、われわれは他者を認識し、ひいては一番大事な自己の認識へと進むことができるのである。」

 

 

Ⅱ.体験が子どもを育てる共体験の教育的価値

教育には、知識と技能、ものの見方・考え方を学ぶことにくわえて、体験や経験から学ぶことがあります。小学校の教育において、学習指導だけでなく、生活指導という言葉があることからもわかります。生活指導とは、子どもたちの日常生活を再編成し、のぞましい生活体験を与えようとするいとなみです。

 

幼児の教育について考えてみましょう。

3歳児、4歳児、5歳児の子どもの生活体験は、まだまだ狭いものです。子どもの経験をひろげること、生活から学ぶことは、幼児の教育において、とてもたいせつなことです。しかし、生身の体験や経験は、現実の時間と空間をこえることができません。ここに、芸術的経験がもとめられる理由があります。

 

絵本、紙芝居、人形劇のなかで、子どもは、日常の生活、生身の体験では、できそうもない、さまざまな生き方を体験します。現実の制約をこえて、自分以外の他者の身になることができます。すぐれた作家のあたたかい眼、するどい眼をかりて、人物のこころと行動、またその世界の意味を理解していきます。子どもは、人物に同化したり、人物を外側から異化したり、同化と異化の体験を同時にする共体験を通して、これらの認識を深めていきます。また、他者の心を想像する力、思いやりのこころをそだてることになるでしょう。

 

絵本、紙芝居、人形劇の教育的意義のひとつは、この同化と異化の統一された共体験というありかたのなかにあります。児童文化の世界のなかで、子どもは、人物の行為を主観的に見る(同化)とともに、客観化(異化)するという二重の仕方の体験が可能です。子どもは、自己中心的であるといわれますが、他者の身になったり、自分自身を客観的にみることができる虚構の世界の体験は、大きな教育的意義をもっています。 

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