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ぼくの変身願望を描いた絵本です。
・・・
ずっと 子どもで いるのは、もう あきあき。
へんしんできたら いいな。
おばちゃんが、わにの頭としっぼを送ってくれました。
もちろん、本物ではありません。
着ぐるみです。
長いしっぽをつけて、
わにの頭をかぶれば、
ヘンシ~ン!
りっぱな わにに なりました。
・・・
ぼくは、子どもじゃなくて わにですよ。
「わにに なっても よろしくね」とお父さんに挨拶します。
お父さんは、わにの頭をなでました。
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でも、
お母さんは心配です。 お医者さんにたずねます。
お医者さんは、言いました。
わにのことなら、「じゅういさんをよびなさい。」
獣医さんは、言いました。
「どこも わるく なさそうです・・・毎日 ちゃんと 食べさせて 字を 教えなさい。」
・・・
学校に通うようになった わに(ぼく)。
スクールバスで登校する わに(ぼく)。
いじめっこもへっちゃら。
ぼくは、
長い 長い口で、
読んだり、
歌ったり、
黒板ふきをたたいて、きれいにしたり、
ちいさな友だち(いぬ)を助けたりしています。
もちろん、全部 ワニの格好で。
もう、
人間の子どもではありません。
わにの子どもです。
毎日がしあわせ、まんぞくです。
わにになった子どもの頃のお話です。
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わにの着ぐるみを着て、殻を破ろうとする「ぼく」、もっと大きくなりたい「ぼく」のこころが表現されています。この絵本の「ぼく」は、両親とまわりの人にとても愛され、守られています。だからこそ何かになりたいのでしょう。自立したいこころを描いていると言えるかもしれません。他のどうぶつではなく、わにになったことでユーモアがいっぱいになりました。
最後に「わにに なった 子どもの ころの すてきな お話」と言う文があります。この文から、作者の子どもの頃の体験かな、あるいは作者の子どものことを描いたのかもしれないと思いました。それはわかりませんが、過去の体験を現在から回想する形になっています。それがおはなしに奥行を与えています。今と過去がないまぜになったような読みの体験が読者に生まれます。また、「あなたの子どものころの素敵なお話は?」「あなたは何かに変身できたのでしょうか」と問いかけられているようです。
・・・
※『わにになった子ども』 シンシア・ライランド作、ダイアン・グッド絵、こしば・はじめ訳、新樹社 2008年 (2021/8/17)