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おなじみの昔話です。
あらすじを紹介し、イメージの筋について考えます。
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とんとむかし。
あるところに、じいさまと ばあさまが ありましたと。
あるとき、じいさまは、稲の穂がいっぽん 落ちているのをみつけました。
・・・
ばあさまは、それを石臼でひいて粉にし、だんごを3つ 作りました。
じいさまが ひとつ、
ばあさまが ひとつ 食べました。
「一つあまったで おまえ くわっしゃい」
「いいや、おめさま くわっしゃい」
「いいや、おめえ くえでば」
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すると、
だんごは、ころころ転がって、ねずみの穴へ。
だんごをさがしに、ねずみの穴に入る じいさま。
穴のなかは真っ暗です。
細い道が 一本 薄ぼんやりと見えます。
すると、どこからか
「じぞうさまの すーそまで」の声がします。
ずんずん 進んでいきますと、
道のわきに じぞうさまがたっています。
・・・
じぞうさまに だんごの行方をたずねると、
「おれ くうでしもうだでや」。
じぞうさまは、夜に鬼どもがくるので、
「おめえ おれのふところに かぐれていて にわとりのなきまねせえや」
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鬼たちが酒盛りを始めると
「それっ」とじぞうさま。
じいさまは 勇気をだして
「コケコッコー」
鬼どもは、
「一ばんどりが ないたぞ、それ! もうじき あさがくるぞ」
大慌てで逃げていきました。
鬼ののこした 宝物があります。
「そこにあるものみんな おめにやるすけ だんごのことは かんべんしてけろ」
じいさまとばあさまは、一生、安楽に暮らしましたと。
いっつくむかしが とっさけた ながとの ながぶち ぶらーんとさがった。
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方言が生き生きしています。また、地蔵さまは庶民のそばにおられる菩薩様ですが、地蔵さまの言葉にも方言が使われています。人情味があって親しみがわきます。最後に、鬼を追い払い、じいさまが宝物をもって帰ることにみんな満足をおぼえることでしょう。
ところで、現実には入ることのできないねずみ穴にじいさまが入り、宝物を持って帰る奇跡は、どのように表現されているのでしょうか。
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だんごを探して、じいさまがねずみ穴に入っていきますが、だんごのことが気がかりな読者は、じいさまが、ねずみ穴にはいることを不自然とは思わずすんなりと受け入れるのではないでしょうか。穴の中は真っ暗です。でも、細い道が一本薄ぼんやりと見えます。穴のイメージは薄くなり、道のイメージが作られます。
すると、道の脇にじぞうさまがいます。道のイメージがありますから、ここに地蔵さまが現れても不思議ではないでしょう。いつのまにか、昼のようなあかるい世界です。ここまでくると、読者はおはなしにすっぽりはまっています。言葉はものではありません。言葉の抽象性が生かされています。また、おはなしはイメージの流れとしてあります。じいさまは、地蔵さまの懐にはいり、「コケコッコー」と大声出して鬼たちを追い払いましたが、こうなることを望んでいる読者がいます。読者の存在もファンタジーを成り立たせる条件のひとつです。さまざまな形象(イメージ)が響き合い、からみあいながら変化発展していく流れを楽しむことが面白いことです。
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※『だんごだんごどこいった』 大江ちさと文 大田大八絵 トモ企画 1988年 (2019/10/22)