広島の原爆をテーマにした絵本です。問題の切り口にあたらしさを感じました。
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一人称「ぼく」の視点です。語り手の「ぼく」とは原爆ドームです。
どうも、はじめまして。ぼくの名前は「ドーム」。
あいにきてくれて、ありがとう」
「ぼく」を建てたのは、チェコの建築家、ヤン・レツルです。
「広島物産陳列館」 と呼ばれました。
原爆が落とされた、8月6日。
広島さんは、ころされた。
ぼくのむねのクマゼミも ころされた。
レンガがズレ、石もズレて、かべはこわれた。
頭がとけてスカスカの骨に……どこもスカスカ……
(爆発の0.2秒後にドームの上に発生した火球は、温度6000度、直径310メートルだと言われています。ドームの頭にはられていた銅は一瞬にして溶け、鉄の骨組だけが残されました。)
そして、つぶつぶ(原子)が、川、山、人、車へ。
「ウランのカケラ」(放射能)が飛び散る。
夏が過ぎても、広島のまちはカケラだらけ。
カケラは、海へ。
魚、タコ、サザエ、カキにもささっていった。
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戦後、人はぼくを「原爆ドーム」と呼びはじめた。
「原爆スポット」は世界中に広がっている。
「原発」の開発も始まった。
「原子力発電所」が生みだすカケラは、原爆よりも増えている。
10.000年も残るカケラ 。
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いま、ぼくの頭の上に、今年もスズメが巣をつくってくれた。
ぼくは、生き物がそばにいるとうれしい。
でも、
ぼくのどこかに「見えないカケラ」が隠れていたら・・・
スズメの子たち、アオサギ、人、ネコ、イヌ、草や木、ミミズ・・・にささるかもしれない。
原爆の悲劇と今につづく問題を「ぼく(原爆ドーム)」の視点から描いたところに、この絵本の特徴があります。一人称視点の文学は、一般に視点人物の「わたし」や「ぼく」の性格、行動、考えにしばられます。絵本の場合、ドームの「ぼく」は動きません。それは、ある意味、作者に不自由な制約を与えます。
視点は読者と絵本をつなぐ窓口です。「ぼく(原爆ドーム)」の 視点を設定したのは、「ドームの目で世界をみつめる」という作者の問題意識からくることだと思います。また、読者の子どもを意識してのことだと思います。
また、原爆のことは遠い過去の出来事ではなく、今も、これからも私たちを脅かす放射能の問題でもあることを伝えています。残留放射能の問題です。1万年後まで残るといわれる放射能。 絵本では「放射能」ではなく「カケラ」「見えないカケラ」と表現されています。生き物だけではなく、建物、山、川、海、草木、動物 …… に残る「カケラ」。「原爆」と「原発」を子どもに分かりやすい「カケラ」で結びつけました。 一人称の視点設定、広島の原爆と現在の「原発」を重ね合わせた構成に作者の問題意識を見ました。
スズキコージさんは「カケラ」や「つぶつぶ」を目にみえるように描いています。 『ドームがたり』は、2018年日本絵本賞を受賞しました。
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※『ドームがたり』アーサー・ビナード作、スズキ コージ絵、玉川大学出版部 2017年
【 追 記 】
原爆が炸裂する前、爆発0秒から100万分の1秒後に核分裂から発生した中性子が地上に降り注ぎました。熱線と衝撃波の前に、爆心地では致死量をこえる放射線が地上に突き刺さっていたのです。 「原子爆弾の放出したエネルギーの50%は爆風に、35%は熱線に、15%は放射線となりました。」(厚生労働省HP)
(2021/9/4)