子どもの 「 愛着物 」 を描いています。
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ねるときは いつも もうふを もってくんだ
ところが、
きょうに限って、
そのもうふが、見つかりません。
おかあさんは、おふろば を、
おとうさんは、戸だな を、
そして、
ぼくは、 べっとのしたを さがしました。
だけど 見つかんないの
おかあさんは、せんたくものを、
おとうさんは、くるまのなかをさがしました。
でも ぼくは まくらのしたで
もうふを みつけて ねむっちゃった
子どもが、 この 「 ぼく 」 のように、
ぬいぐるみ、
毛布、
タオル、
まくら、
タオルケット、
肌かけふとんなどをもって 寝ることは、よく見られることです。
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私の息子の場合、2・3歳 のころ、 さるの人形に愛着を示していました。その人形に「 ポッケ 」という名前までつけていました。子どもが何か特別なものに、愛着をしめしていたという経験をお持ちの方もいらっしゃることでしょう
愛着物とは なんでしょうか。
愛着物というのは、自分の思いを託することのできるもの。
自分の延長であり、
分身でもあるような生きものと意味づけられています。
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津守真さんは、「 愛着物 」について こう言っています。
P子ちゃんは、1歳のころから「いい きもちちゃん」と名づけられた、お気に入りの毛布を持っていました。
「毛布は、 この子どもにとって、 時に応じて、 いろいろの表情をする生きものであったことが わかる。 それは感触のよいものであるが、 単なる物ではない。笑い、怒り、 風邪をひく。 自分を慰め、 笑いかける。 子どもが 毛布にくるまるとき、 それは ただ単に逃避しているのではない。 子どもはその中で能動的に生きている」 津守真 『 子どもの 世界を どう見るか 』 日本放送出版会
子どもは、 親への依存と愛着を感じつつも、現在の状況から一歩踏みだそうとしています。自立するこころと依存するこころです。
「 愛着物 」は、こうした内面の 対立をやわらげ、子どもの能動性をたすけるもの。
それは、子どもにとって、
わらい、
なぐさめ、
いかり、
はげまし、
共感してくれるものなのです。
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※ 『 もうふ 』 ジョン ・バーニンガム作、 谷川俊太郎訳、 冨山房 1976年