
グリム童話です。
ハンスが手に入れた大きな金のかたまりは、交換するうちに、馬、めうし、豚、がちょう、砥石に変わっていきました。
・・・
ハンスが奉公をして、7年がたちました。
「くにのかあさんとこにかえりたくなりました。おきゅうきんをくださいまし」
主人は、大きな金のかたまりをハンスにやりました。
・・・
家へ帰る途中、
ハンスは馬に乗った男に出会いました。
「馬にのるって、すてきだな。おもいきんなどもたないで、みちがどんどんはかどるもん」
「どうだね、とりかえようか」
ハンスは、金と馬を交換します。
ハンスは幸せいっぱいになります。
でも、馬から投げだされてしまいました。
「もう うまはこりごり」
ハンスは、めうしと馬を交換します。
めうしに蹴られたハンスは、こんどは、めうしを豚と交換します。
このようにして、
豚をがちょうと交換し、
がちょうを砥石と交換します。
・・・
最後は、泉で水を飲んでいる時、ハンスは砥石を泉に落としてしまいました。ハンスは思わずよろこんで躍ります。重荷になっていた石がなくなるなんて、なんて運がいいのでしょう。
「まったく、ぼくくらいしあわせもんは、てんかにいないや」
心うきうき道を急ぎ、かあさんの家に着きました。

解釈に悩む話です。
ものに執着しない人物、ハンスが描かれています。常識的に見れば、おバカなハンスというこになるでしょう。しかし、金のかたまりが、馬、めうし、豚、がちょう、砥石に変わっても、ハンスの心はものに左右されていません。
禅宗に「放下著」(ほうげじゃく)という教えがあります。「放下著」とは「煩悩妄想はいうに及ばず、仏や悟りまでも捨て去る、すべての執着を捨て去れ、すべてを放下せよ!」(臨在禅 黄檗禅 公式サイト)という教えです。ハンスは、砥石がなくなったことをなんて運がいいと考え、しあわせとさえ感じています。
ギリシャの哲学者・エピクロスは言っています。
「水とパンで暮らしておれば、わたしは身体上の快に満ち満ちていられる」 エピクロス、出隆・岩崎允胤訳『教説と手紙』(断片二. 37)岩波文庫
・・・
※『しあわせハンス』 グリム童話、フェリクス・ホフマン絵、瀬田貞二訳、福音館書店 1978年
【 3つの追記 】
瀬田貞二さんの翻訳文は、テレビ画面のテロップのようにページの下に一行にして書かれています。改行と思われる所には赤い●があります。絵の中に文字がないのは、フェリクス・ホフマンの絵を尊重した工夫だと思います。また、ハンスの空色の上着が印象的です。
「 エピクロス(Επίκουρος、Epikouros、紀元前341年 – 紀元前270年)は、快楽主義などで知られる古代ギリシアのヘレニズム期の哲学者。エピクロス派の始祖である。 現実の煩わしさから解放された状態を「快」として、人生をその追求のみに費やすことを主張した」 (ウィキペディア)
「他人の人生が幸せなのか不幸なのかは絶対にわからない」
(笹山敬輔『昭和芸人 七人の最期』から)
鷲田清一さんの「折々のことば」(朝日新聞、2021/12/23)にありました。
(2022/1/10)