「くるみ」をめぐる、おじいちゃん、ママ、エミリアの3代の はなしです。
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子どものころ、
イタリアの コモ湖近くに 住んでいた おじいちゃん。
くるみを ポケットにいれ、家族と海を わたりました。
あたらしい土地で
くるみを 鉢に植え、そだてました。
くるみが 苗木に なったころ、
おじいちゃんは おばあちゃんと 出会いました。
そして、りっばな くるみになるように 庭に植えました。
「この おうち? この おにわ?」
「みに いくかい?」
エミリアは、おじいちゃんの 手をとって 外へでました。
「これが おじいちゃんの きだ。
そして、あれが おまえの おかあさんの きだよ」
「ママも くるみを もらったの?」
「ちょうど おまえと おなじ としにね」
おじいちゃんは
木の実を 植木鉢に 植え、エミリアに 言います。
「ながい たびの はじまりだ」
くるみの木は 少しずつおおきく なりました。
おじいちゃんは
いちにちの ほとんどを アームチェアで すごすようになりました。
「いつか きに なる?」
「なるとも すばらしいことが おきるには、じかんがかかる。
たとえ、じぶんが みられなく
でも かならず おきるんだよ」
おじいちゃんは 亡くなりました。
おじいちゃんは じぶんの
とびきりの たびに でかけたんだ。
エミリアは、くるみの木を 庭に 植えました。
エミリアの木と ママの木を おおう
ごつごつした 枝を ひろげた おおきな くるみの木が たっています。
くるみの 実から ながいたびをして そだった木。
この きは、2ほんの きと いっしよに、ずっと ここに いる。
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旅、時間のイメージが、おはなしの中に流れています。そのイメージには、変化と変わらないことがふくまれます。
祖父、母、むすめのつながり、3つのくるみの木のつながりは、命のつながりとして、これからも続いていくことでしょう。「すばらしいことが おきるには、じかんがかかる。たとえ、じぶんが みられなくても かならず おきるんだよ」というおじいちゃんの言葉は、箴言のように響きます。
エミリアとくるみの木は、これから どんどんおおきくなります。また、エミリアは、おおきなくるみの木をみるたびに、おじいちゃんを思いだすことでしょう。永遠の命はありませんが、時、ところをこえ、また形を変えて、つながることがあることを信じる気持ちがおこります。
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※『おじいちゃんの くるみの き』 アミ=ジョーン・パケット文、フェリシタ・サラ絵、ひさやまたいち訳 評論社 2023年 (2024/8/13)