菊三郎( 人間 )とかじか( 自然 )の交流をえがいた 民話です。
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むかし、
ある山里に、お金持ちの家が ありました。
しかし、あるじの菊三郎は、怠けもの。
毎日、あそんでくらし、
山や畑を 売りつくし、
かじかざわの 土地 も、手放すことに なりました。
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菊三郎が、かじかざわの おおきな岩に 寝ころんでいると、
かじか( 蛙 )の棟梁が、うったえます。
のう、菊三郎さま。
この、かじかざわだけは、
どうか 売らんどいて くださりませ。
菊三郎は、
かじかの棟梁の ねがいを 聞きいれ、
かじかざわの 土地を 売ませんでした。
でも、菊三郎に 残ったものは、
なにも描いていない 枕屏風が 一枚きり。
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その晩、
何百という かじか(蛙)の鳴く声が 聞こえました。
かじかの声は、とても楽しそうでした。
菊三郎が起きてみると、みごとな かじかの絵が、枕屏風に描かれています。いまにも 鳴きだしそうです。
かじかびょうぶは、大評判。
「金は、いくらでも だす。ぜひ、ゆずって ほしい」。
でも、
菊三郎は、手放しません。
そして、菊三郎は、まるで人が変わったように、働きだしました。
貧しいひとには、金や米を 分けてやり、
困っている人には、知恵を かしてやりました。
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八十歳になった 菊三郎。
ある日、殿様の使いが、屏風を 奪ってしまいます。
寝たきりの 菊三郎には、どうすることも できません。
しかし、
ザワ ザワ ザワ・・・
ザワ ザワ ザワ・・・
何百というかじかが 屏風から はいだしてくるのでした。
そして、
かじかびょうぶは、ただの 古い紙の びょうぶに。
「それで よいのじゃ。みんな、かじかざわへ かえるがよい。」
菊三郎は、そうつぶやき、
にっこり わろうて、大おうじょうを とげたそうな。
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自然の声を聴く、自然とともに生きるという 日本人の感性、自然観 があらわれている民話です。川崎大治さんが、伊豆の老人から聞き、再話しました。語り手の口調をいかした文章です。こうした民話を通して、日本人の感性や自然観が養われていくのでしょう。次の世代に伝えたいおはなしです。
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※『 かじか びょうぶ 』 川崎大治文 太田大八絵 童心社 2004年 (2017/8/9)