へっこき嫁の笑話です。
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とんと むかし、
ばばさとあにさがあって、あにさは、嫁さんをもらったと。
嫁さんは、
きりょうよし、おとなしく、はたらきものだった。
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しかし、
嫁さんの顔が「あおらあおら」してきて、ばばさが心配で聞くと、
「おら、あの ほんと いえば、へが でたくて……」
「がまんしてたら からだに わるいでな、なんぼでも、こいて みろさ。」
「ほんとに、こいても いいべかのし」
「ああ、いいどこでね。」
すると、あねさは、
ぼんぼん ぽかーん
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ばばさは、宙に浮き 大根畑まで飛んでいったと。
「おおごとでねか。ひとつ ひきへ(引き屁)にしてくれや」
「ほうしゃ、いま ひくぜ」
ばばさは、大根を一本抜いてな、
それをつかんで、もとの庭先に。
あねさは、
つぎのが こらえれなくて、
ぼんぼん ぽかーん。
ばばさが 飛ばされ、大根畑へ。
ひきへで 大根一本をもって、もとの庭先へ。
この繰り返しで、
庭先には、大根の山ができたというわけ。
(一回目がこれ。)
あにさは、びっくらこいて
「おら うちに おいとけね、さとへ かえれ」といったと。
家に帰されることになった あねさ。
あねさを 送っていった あにさ。
帰る途中、
ふたりは 港町へ。
風がなく、船を出せずにいたところに、
あねさは、もう一度、おおきなへを
ぼんぼん ぶおおーっ
すると、
大風が吹き、船は すいーっと 沖に出ていったてや。
あねさが、ひきへをすると、約束の米俵が飛んできた。
(二回目がこれ。)
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こんどは、峠の山で、
柿とりをしている 反物売りにであった。
ここでも
ぽんが ぽがーっ ぶうが ぶおーっ
柿を落として、馬と反物を手にいれたと。
(三回目がこれ。)
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「こげんな たからよめ、どうして さとなど かえせるだ。」
「おらな、こんげな ことも あるかと おもって、いま 一ぱつきり のこして おいた」
そして、
ぼがーん ぶっぱっ ぱあー
あにさを ふっとばし、
あねさは、
馬の背中に米俵と反物をつんで、ばばさの家へもどってきたと。
(四回目がこれ。)
あねさ、ばばさ、あにさは 仲良く くらしたってや。
いちご ぽーんと さけた。
畑、港、峠の山と場所を変え、へっこき嫁の大活躍です。
嫁さんのストレスは腹のなかに溜め込まれた屁。それが、ぼんぼん ぽかーん、ぽんが ぽがーっ ぶうが ぶおーっという屁で身もこころも解放されます。「ひきへ(引き屁)」の技までありました。あねさは音の違う屁を4回もしますが、器用な人ですね。力を加減しているのでしょうか。(笑) 最後の「ぼがーん ぶっぱっ ぱあー」が「いちばん でっけえ へ」でした。あにさは、空高く飛ばされ、庭先の畑に落ち、目をまわしています。屁をしただけで、嫁を里に帰すあにさの行為に対する懲らしめのようにも感じます。
笑い話ですが、封建社会における「嫁」の立場がよくわかる話です。「むかしの よめさんは どんな つらい こと あっても、「へい、へい」って しゅうとめさんに つかえなければ ならなかったもの」と文章にある通りです。また、あねさを里に帰したり、「たからよめ」だとわかると家に戻すあにさ(夫)の身勝手さも見えます。
人物の言葉と語り手のかたりが生きいきとしていて、おおらかな民話の世界とぴったりの文体でした。また、太田大八さんも魅力的な嫁さんを描いています。
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※『 へっこきあねさが よめにきて 』 大川悦生作、太田大八絵、ポプラ社 1972年 (2020/1/7)