ふるはしかずおの絵本ブログ3

『とうちゃんの凧』- 戦場にあがる五十まいの凧

魚屋の とうちゃんの 戦争のはなしです。

むすめの「わたし」が語ります。

    

      ・・・
とうちゃんは、

凧づくりが 大好きでした

お客さんの家で 男の子が生まれると、凧づくりを かってでたそうです。

「どっちが 本職だか、わかったもんじゃなかったよ」

と、母は言っていました。

    

わたしが 

母の おなかに できたとき、

父は、男の子だと 思いこみ、

どんな 凧をつくろうかと うれしそうに かんがえていたそうです。

    

   

 ところが、うまれてきたのが わたしでしょ。

   

    

父が どんなに がっかりしたことか。

でも、

巴御前の 六角凧を つくってくれたのです。

わたしの名前を 友恵と つけて。

 

 

 父も 戦争に つれていかれちゃいました。

 

 

父は、

中国の少年が ムカデ凧をあげているのを 見つけて

こうふんして、見せて もらったそうです。

戦友や 隊長さんの たすけをかりて、

父は 五十まいの 凧を 作ったそうです。

  

   

 赤い よろいを き、なぎなたを かかえ、

 きりりと はちまきを しめ、

 目を つりあげ、

 口を きゅっと むすんだ

 うつくしい 女大将の 顔・・・

 それが 五十まい。

 

とうちゃんは・・・巴御前の

 いいえ 友恵の 絵を かいたんだよ、きっと

 

 

巴御前の 凧は 一日じゅう よくあがっていたそうです。

    

 

夕がた、

凧を おろそうと したとき、

一ぱつの 銃声が ひびき、

たまが 父の むねを つらぬいたんです。

 

  

 父の 手を はなれた

 凧は、ひもを ひきずりながら、

 どこまでも どこまでも とんでいってしまったそうです。

 

    

敵味方なく、

なかよく 凧をあげられたら

どんなに いいでしょう。

父も、きっと それを のぞんでいたにちがいありません。

 

          ・・・

「とうちゃんは・・・巴御前の、いいえ 友恵の 絵を かいたんだよ、きっと」という母ちゃんのことば、また戦争のさなか、五十枚の凧をあげるというシーンが、ふかくこころにのこります。

     

巴御前の凧をしっかり描写しています。「友恵」のためにあげた、空高く舞い上がる、五十まいの凧のあざやかなイメージがうかびます。

      

魚屋のとうちゃんは銃でうたれ戦死しました。戦争の無残さ、戦争反対のメッセージがしずかに伝わります。

       ・・・

※『とうちゃんの凧』 長崎源之助作、村上豊絵、ポプラ社 1992年  (2024/5/14)

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