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自己意識をもつでんでんむしが主人公です。
そして、自覚を深めます。
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あるでんでんむしが、
たいへんなことに気づきました。
自分の殻の中には、かなしみがいっぱい詰まっているのではないかと考えました。
どうしたら、よいのだろうかと悩みます。
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お友達のでんでんむしのところに行きました。
そして、
こう言いました。
「わたしは もう いきていられません。」
「なんですか。」
「わたしの せなかの からの なかには、かなしみが いっぱい つまっているのです」。
すると、意外な答えが返ってきました。
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「あなたばかりでは ありません。わたしの せなかにも かなしみは いっぱいです。」
・・・
そこで、別のでんでんむしを訪ねてみました。
すると、
やはり、こう言うのです。
「あなたばかりでは ありません。わたしの せなかにも かなしみは いっぱいです。
でんでんむしは、お友達をじゅんじゅんに訪ねますが、
みんな同じことをいいます。
・・・
とうとう、でんでんむしは気がつきました。
「かなしみは だれでも もっているのだ。わたしばかりでは ないのだ。わたしは わたしの かなしみを こらえていかなきゃ ならない。」
そして、この でんでんむしは、もう なげくの をやめたのであります。
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新美南吉のこの作品を知ったのは1998年です。この年国際児童図書館評議会の基調講演で、美智子上皇后は子どものころに読んだこの「でんでんむしのかなしみ」の思い出をおはなしされたのでした。でんでんむしの不安がふかく記憶に刻みこまれたということでした。
でんでんむしにとって、殻がいっぱいになるほどの悲しみとは何だったのでしょう。他のでんでんむしも、みんな、どのような悲しみを背負っていたのでしょうか。
でんでむしだけでなく、わたしたちはみんな、人生の悲しみ、哀しみ、愛しみを抱えて生きています。他者に対する認識を深めたでんでんむしは、同時に自覚を深めました。みんな、このでんでんむしのようであってほしいという作者の願いを感じます。ヒューマニティあふれる小品です。「かげ」とともに、私の好きな南吉の短い作品です。
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※『でんでんむしのかなしみ』 新美南吉作、鈴木靖将絵、新樹社、2012年 (2021/4/23)