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表紙の男の子が「ちからたろう」。百貫目の金ぼうを手にして旅修行にでます。
・・・
とんと むかし。
貧しいじいさまと ばあさまは、
体じゅうの こんび(あか)で、
小さな人形を作り、「こんびたろう」と名づけた。
こんびたろうは、
「わしわし」とよく食べて、大きくなった。
しかし、「ほぎゃあ」とも言わず、寝たまんま。
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何年もすぎた、ある日のこと。
突然、
「百かんめの かなぼう つくって けろ。」と
口をきき、
立ちあがり、
かなぼうを大根みたいに振りまわす。
「このちからが どんくらい 人のやくにたつものか、ためしてみてえ。」
(これから、ちからたろうの活躍がはじまります。
こんびたろうは、ちからたろうと呼ばれます。)
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はじめに出会ったのは、みどうたろう。
ちからたろうは、みどうたろうを空高く吹き飛ばす。
そして、
みどうたろうがひっかかっていた松を、根っこぐるみ引っこ抜く。
みどうたろうは降参です。
ちからたろうと一緒に旅にでます。
次は、いしこたろう。
ちからたろうは、いしこたろうを ぽいと ぶん投げる。
いしこたろうも、一緒になりました。
・・・
三にんは、大きな町につくと、
町には、人っこ一人いない。
むすめが泣いています。
三にんは、
ばけものが、毎年、町のむすめをさらっていくという話を聞いた。
「ええとも。えいとも。おらたち 三にんで、たいじしてやっから」。
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夜、
そいつがやってきた。
みどうたろうも、いしこたろうも歯が立たない。
げろんと飲み込まれてしまう。
ちからたろうも苦戦する。
しかし、相手を 下から ぐわんと蹴り上げると、
「んぎゅっ、むう」。
そいつは、みどうたろうといしこたろうを はきだして、消えてしまった。
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後日談です。
そのあと、三にんは、村に住みつき、はたらいた。村の田んぼは、ぐんと実りがよくなった。ちからたろうは、助けた娘といっしょになり、じいさまとばあさまを迎え、あとのふたりも村の娘といっいょになり、暮らしたそうだ。さむらいどもだけは、すっかり 小そう なっておったと。
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力強くダイナミックな田島征三の絵に惹かれます。こんびたろうが「やあああっと」背伸びする場面は圧巻です(上の絵)。
今江祥智さんはオノマトペをたっぷりと使って「ちからたろう」の成長と活躍を生きいきと描いています。 ちからたろうの成長は、彼の言動だけでなく、「こんびたろう」から「ちからたろう」と呼ばれる呼称の変化にも表現されています。
絵と文章が、張り合い、せめぎあい、あらがいあう関係が見えます。絵と文章で競い合い、張り合っている田島征三さんと今江祥智さんのことを想像すると、なんだか楽しくなります。黒澤明監督の「七人の侍」を連想しました。
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※『ちからたろう』今江祥智作、田島征三絵、ポプラ社、1967年
【追記】
絵本の中の直喩についてですが、農村的な世界を連想させる身近なものにたとえられています。「こんびが、まるで きのこみたいに、ぼろんぼろん とれた。」「かなぼうを、だいこんみたいに ふりまわして みせた。」「かなぼうを あめみたいに まげてしまった。」土のにおいがする絵と響きあって、これらの直喩もこの民話世界を形象しています。 (2021/2/2)