「あかちゃんがくるのよ」
「うちには あかちゃんなんか いらないんじゃない?」とぼく。
ここから、
「あかちゃん いつくるの、ママ? あちゃんに あいたいよ」まで、ぼくの心が変わっていきます。
ぼくの心の変化を描く一人称視点です。
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「いつくるの?」
「なんて なまえにするの?」
「あかちゃんは なにに なるのかな?」と尋ねるぼく。
「あかちゃんは、シェフになるかもね」(ママ)
「あかちゃんの つくったものなんて なんにも たべたくないよ]
・・・
このあと、
ママとぼくのやりとりが、繰り返されます。
絵描きさんになって すてきな絵を描くかもね。
めちゃくちゃに なるよ。
庭師になって、草や木を育てる人になるかしら。
ぼくとあそべるね。
(ぼくも草花が大好きなのです)
動物園ではたらくかしら。
トラに食べられちゃうかもね。
船乗りになって みんなを船にのせてくれないかなあ?
でも、船長は ぼくだよ。
銀行員になるかも?
そうしたら素敵だね。たくさん おかねをくれるよ。
公園で働くひとかも。
たくさんの落ち葉を集めるなんて できないじゃないの。
お医者様か看護師さん?
あかちゃんに 世話してほしくないよ。
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この後に、
冒頭の紹介した、ぼくの言葉がつづきます。
「あかちゃん いつくるの、ママ? あかちゃんに あいたいよ」
「もうすぐよ。おおいそぎで やってくるわ」
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赤ちゃんが生まれ、
ぼくは、おじいちゃんと会いに行きます。
「おじいちゃん、…… ぼくたち あかちゃんが だいすきに なるんだよね?」
ママは、ぼくとの会話のなかで「あかちゃんは ~ になるかもしれないね」と繰り返します。あかちゃんが、絵描きさん、庭師、動物園ではたらく人、船乗り、銀行員、公園で働く人、お医者さんか看護師さんになったら、どうなるかしらと、ぼくに問いかけます。
ぼくは、あかちゃんがなる職業をぜんぶ否定します。でも、もしそうなったら、きっと楽しいだろうなと予感します。否、予感させていきます。賢いママです。ママとの会話の中で、ぼくの心が少しずつ変化していきました。一人称視点のおはなしの多くは、主人公(ぼく、わたし、おれ、わし・・・)の心や様子の変化を読むことです。
ジョン・バーニンガムとヘレン・オクセンバリー夫妻の初めての共作絵本です。
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※『 あかちゃんが やってくる 』 ジョン・バーニンガム作、ヘレン・オクセンバリー絵、谷川俊太郎訳、イースト・プレス 2010年 (2020/3/19)