ふるはしかずおの絵本ブログ3

「さかさ唄」の教育的意義

「さかさ唄」とは何でしょうか。

 

それは「〈イ〉なる物に〈口〉なる物の機能を与えたり、その逆をおこなったりするお遊び」のことです。 チュコフスキー、樹下節訳『2歳から5歳まで』理論社

 (うーん。よくわかりません。)

 ( もっと具体的に説明してください! )

      ・・・

チュコフスキー の絵本『めっちゃくちゃ』 (樹下節訳、理論社) を例に取りましょう。その始まりのところを引用します。

  

 野原をお散歩さかなたち (さかなはお散歩をしないのに)

 空をとんでるヒキガエル (ヒキガエルは空を飛ばないのに)

 ネズミがネコをつかまえて

 ネズミ取りに入れちゃった

 小さな小さな子ギツネは

 マッチのはこを手にもって

 青い海辺へやってきて

 青い海に火をつけた

 海がどんどん燃えだすと

 クジラが一ぴきにげてきた

 〈 消防署の人きておくれ、助けて  助けて 助けて ! 〉

  

「〈ヒキガエル 〉に〈 空を飛ぶ 〉ことができる機能を与えたり」「〈 海 〉に〈 火がつき、どんどん燃え 〉る性質・機能を与えて遊ぶことです。

 

このようなナンセンスな遊びがどのような教育的意義をもつのでしょうか。チュコフスキーは『2歳から5歳まで』のなかで次のように言っています。

    

「こどもが大きなものは強く、小さいものは非力であるという関係をつかみ、動物は大きければ大きいほど強いということを、はっきり知ったと仮定してみましよう。この原理が完全に明瞭になったとき、こどもはこれをもてあそぶようになます。このお遊びの内容は、直接の関係を逆の関係におきかえることにあります。つまり、大きいものに小さいものの特徴を、小さいものに大きいものの特徴を与えるのです」 チュコフスキー『2歳から5歳まで』理論社

    

「これらの唄 ( さかさ唄 ) の場合、まちがった対位は正しい対位の確認に役立つだけであること、こうした架空物語によって、世界に対する子供の現実理解を確固にし得る」 チュコフスキー 同上書

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チュコフスキーの言うようにさかさ唄はその架空物語によって「世界に対する子供の現実理解を確固にし得る」という認識論的な意味があります。しかし、それだけでもないように思います。笑い、ユーモアの感覚、音楽的リズムや韻のおもしろさがあります。つまり、おはなしへの興味だけではなく、言語そのものへの関心を呼び起こします。

         ・・・

 

また、「さかさ唄」のように 言葉をおもちゃのようにして遊ぶことの重要性はどこにあるのでしょうか。リリアン・スミスとチェコフスキーに語ってもらいます。

               

「子どもを歌や本にふれさせる最良の道は、感覚を通してである。小さい子どもは、読むことができない。そこで、かれらの喜びは、耳から、ことばのリズミカルな拍子から、音のつくりだす韻からくるのであって、必ずしもその意味からくるのではない」『児童文字論』リリアン・スミス著、石井桃子他訳、岩波書店

    

「こどもにとって、詩は人間のことばの規準であり、自分の感情と思考の自然な表現にほかならないのです。かぞえ年三~四歳ともなればこどもは、ときにはひじょうに長くて三~四百行もある物語詩を熱心に聞き、三べんも読んでもらうと、はじめからおわりまで完全におぼえこんでしまいます」『2歳から5歳まで』 チェコフスキー、樹下節訳 理論杜

    

「教育者は、幼い教え子たちの生活におけるこの〈詩的段階〉を利用すべきです。この段階では、詩がこどもの思考と感情に働きかける、強力な教育手段の一つをなしていることを忘れてはなりません。詩が周囲の世界の知覚を助け、こどものことばの完成を効果的に促進するのは、言うまでもありますまい。柔軟な音楽的リズムをふまえ、美しい韻をちりばめた、これらの典雅なことばの構造のお陰で、こどもはいささかも努力することなく、遊んでいるうちに、国語の構造と語彙をしっかりとおぼえます」 チェコフスキー、 同上書

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