スロバキアの民話です。継子いじめのおはなしです。
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昔、
あるところに、
ふたりの娘とくらしている やもめがいました。
姉のホレーナは やもめのむすめ。
妹のマルーシカは ままこでした。
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やもめと ホレーナは、
きれいなマルーシカが憎らしくて、
なんとか追い出そうとしました。
ある寒い冬の日、ホレーナがいいました。
「マルーシカ、もりへ いって すみれを つんできてよ」
やもめもいいました。
「すみれを みつけるまでは かえってきちゃ いけないよ」
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マルーシカは、泣きながら 森へ行きますが、
冬の森に「すみれ」があるはずがありません。
雪の中をあてもなく歩く マルーシカ。
倒れそうになりました。
そのとき、
むこうに ちらちらと燃える 赤い火が見えました。
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12にんの男のひとが、焚き火を囲んでいます。
1月から 12月までの 月の精たちでした。
冬の月は、おじいさん。
秋の月、夏の月と少しずつ若くなり、
春の月は、うつくしい若者でした。
マルーシカのはなしを聞いて、
いちばん若い3がつの精が、杖をふると、雪がとけ、春がきました。
すみれが、咲いています。
「さあ、はやく おつみよ。いそいで」
すみれを持って帰ると、
お礼もいわずに、ふたりは命じます。
「いちごを みつけるまでは かえってきちゃ いけないよ」
こんどは、
6がつの精にたすけられます。
いちごを持って帰ると、
ひったるように、いちごを取り上げ、命じます。
「りんごを みつけるまでは かえってきちゃ いけないよ」
こんどは、
9月の精にたすけられ、真っ赤なりんごを持って帰ります。
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これを見た、欲の深いホレーナは、りんごを取りに出かけます。
しかし、
ホレーナの無礼な態度をみて、12がつの精は杖をふり、焚き火を消してしまいました。やもめも、森のなかの深い雪に うもれてしまいました。
残されたマルーシカは、
春がくると、
3月の精のような うつくしい若者と結婚して、幸せにくらしました。
こころ美しい者は救われる。また、神はすべてを見通されているという民話でした。読者はこうした教訓を学びます。
しかし、その前に、おはなしの中で、読者はマルーシカをなんとか助けたいと願います。読者もおはなしに参加します。読者の存在は民話においては欠くことのできない要素ですが、マルーシカにこころを寄せる読者の存在が『 12のつきの おくりもの 』の奇跡を起こします。その奇跡を不自然だとは思いません。読者はそれを願っています。読者もおはなしを創造します。
マルシャークの戯曲「森は生きている」(1943年)はこの話が元になっています。そして、マルーシカたちの民族衣装がうつくしい。
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※『 12のつきの おくりもの 』内田莉莎子再話、丸木俊絵、福音館書店 1973年 (2019/12/1)