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バーバラ・クーニー(1917-2000)の最後の作品(1999年)です。
100年以上前のアメリカ、ニューヨーク州ハドソン近くの山あいで籠をつくって生計を立てる人たちの物語です。
ぼくの視点から語られます。
・・・
満月がもうすぐです。
とうさんは、籠をつくり、ハドソンまで歩いて売りにいきます。
ぼくは、こんどこそハドソンに連れて行ってもらえるかもしれないと期待しています。
でも、返事は「もっと大きくなったらな」。
・・・
9際になったとき、
ぼくは、とうさんと一緒に、ハドソンに籠を売りに出かけます。
ぼくは、見たものすべてにおどろき、感動します。
600本のリンゴの木がならぶ 果樹園、
石造りの家、
街中の何本もの通り、
いろいろなものが並ぶ ジャンセン金物店、
石油や皮製品や釘のにおい、
ラッキーマン食料店の品々。
ハドソンは、レンガと商売のにおいがした。
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帰り道、
広場にいた男のひとが大声で怒鳴ります。
「おんぼろかご、くそったれかご・・・山ザルが知っているのは、それだけだ」。
ぼくは、深く傷つきます。
籠を見るのも嫌いになり、
ハドソンにも二度と行くもんかと思います。
・・・
何週間かたって、
近くに住むビック・ジョーが、ほくに言いました。
「風は、おれたちには、かごをつくることをおしえてくれたんだ。」
「風はみている・・・だれを信用できるか、ちゃんとしっているんだ」
ビック・ジョーの言葉を聞いて、
ぼくは、思います。
とうさんのようになりたい、
風が えらんでくれた人になりたいと。
ぼくは、わかりました。
ぼくの作りたい籠は、
いつまでたっても使える 籠だ ということを。
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ハドソンにつれていってほしい ぼくの思い、ハドソンの街の賑わい、ぼくに向けられた差別の言葉と失意、そして、とうさんのようになりたいというぼくの決意。ぼくの心情の変化が、手にとるようにわかります。一人称視点のこの物語は、ぼくのこころの変化 、ぼくの成長 の物語です。また、ハドソンの賑やかさが 描かれていますが、それは、客観的な描写というより、ぼくの視点から見られた情景です。ぼくの主観に彩られてることに注意すべきです。はじめて見たハドソンの街は、ぼくにはこのように見えたのです。
・・・
※『満月をまって』 メアリー・リン・レイ文 バーバラ・クーニー絵 掛川恭子訳 あすなろ書房 2000年
【 すこし長い追記 】
バーバラ・クーニーの絵本紹介は、『 チャンティクリアときつね 』(1959)『 にぐるまひいて 』(1980)『 ルピナスさん 』(1982)に加えて、4冊目になりました。
また、おはなしが語るように、100年以上昔のアメリカには、じょうぶで美しい籠を作り生計をたてる人たちがいました。著者のあとがきによりますと、「最後まで(籠を)つくりつづけていたひとりの女性も、1996年に亡くなってしまいました」。
ドイツの哲学者・教育学者パウルゼン(1846 – 1908)は、教育とは「年長の世代からつぎの世代への理念的文化財の伝達である」といいました。「理念的文化財」とは、言語、知識、技能、慣習など形のない文化財です。こうした文化財は、次世代の人に伝えて(教えて)、また次の世代が学ぶことではじめて次につながっていきます。言い換えれば、学ぶひと(後継者)がいなければ、それらの文化財は失われてしまいます。
籠を作る技術はこのようにして失われてしまいました。今では、ものとしての文化財(籠)が残っているだけです。言語を含め、後継する者がないことで消えた文化がどれだけあることでしょうか。考えさせられます。 (2019/5/5)