宮沢賢治の生前に 刊行された唯一の童話集。
それが、『 注文の多い 料理店 』でした。
そのタイトルにもなった作品で、ご存知の方も多いことでしょう。
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ふたりの「 紳士 」が、 狩りにやってきました。
こんなことを 言いながら。
ぜんたい、ここらの山は怪けしからんね。鳥も獣けものも
一疋も居やがらん。なんでも構わないから、早くタンタアーンと、
やって見たいもんだなあ。
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鹿の 黄いろな 横つ腹 なんぞに、二三発 お見舞まうしたら、
ずいぶん 痛快だろうね。くるくるまわって、それが どたつと
倒れる だろうねえ。
彼らは道に迷い、
レストラン・山猫軒に入ります。
扉に書かれた案内にしたがって、
扉を、
どんどんひらいて
奥へ
奥へと 入っていきます。
扉の多い奇妙な レストラン。
・・・
この先 どうなるか、
人物( 二人の「紳士」)は 知りません。
読者( わたしたち )も 知りません。
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この関係が、スリル と サスペンスを 生みだします。そして、ふたりは、 おそろしい山猫に 近づくのです。おいしい食事を 食べられると 思ったのに、逆に自分たちが 食べられる? ふたりは、山猫に 食べられてしまうのでしょうか。
はたして、その結末は ?
この作品には、
鳥や けものの命を奪うことに 痛みを 感じない人物、
命を 無駄に奪う行為への、
賢治の
怒り、
憎しみが あります。
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最後に、作者は、ふたりの顔を 紙くずのようにして、東京へ帰します。見栄や 体面にとらわれている 彼らには、致命的な罰です。彼らは、紙くずのような 人物 なのです。「注文の多い料理店」は、ふたりの「紳士」の心が生みだした世界だと言えます。ふたりの心を覗いてみると、山猫のいるような世界なのです。賢治の仏教説話です。
ところで、読者の体験のことですが、読者は、初読と再読で異なるイメージの体験をします。はじめて 読むときは、スリルとサスペンス。すこし、不気味な感じです。もう一度 読むと、こんどは ユーモアがあり、滑稽な感じの体験が加わります。しかし、このユーモア・滑稽さには、皮肉(アイロニー)と諷刺(サタイア)が含まれています。
先をしらない初読と、結末まで知っている再読の場合、やはり読書の体験は異なります。初読と再読で、異質な体験をするおもしろい作品のひとつが、この「注文の多い料理店」です。
※『 注文の多い 料理店 』 宮沢賢治作、 島田睦子絵、 偕成社 1984年
【 追 記 】
山猫の言葉に、言葉遊びがあります。
「 料理はすぐできます。/十五分とお待たせはいたしません。/すぐたべられます。」「大へん結構にできました。/さあさあ おなかに おはいりください。」
前者は、可能の「たべられる」と自分たちが「たべられる」の二重性。後者は「お中に」と「お腹の中」です。 恐怖感がたかまる場面に、この言葉遊びです。
『 注文の多い 料理店 』の絵本は、スズキコージさんのもの(ミキハウス)をはじめ何冊かありますが、迫力のある山猫の絵から島田睦子さんの絵本を選びました。 (2016/7/24)