
あたまをなくしたおとこ!? タイトルが、読者への仕掛けになっています。
あるあさ、
おとこが おきたら、頭が なかった
おとこは、
ようやく
ぶたを つれて まつりに いったことを 思いだした
まつりに いって あたまを さがすことにした
あたまの ないままに 出かけるわけには いかない
おとこは 畑で、カボチャを とって
目や はなを くりぬき
あたまにして、行くことにした
村の ひとに
おまえさんは、あたまが きれると言われ、
家に かえり、
こんどは ニンジンを 頭にして でかけると、
あたまを いためているんじゃないのかい、
と言われ また、いそいで 家に もどった
つぎは、
丸太で あたまを つくって でかけた
まつりを 楽しんだが
すんでの ところで トラに くわれそうに なった
あたまなし、かんがえなしの
じぶんに このさき なにがおこるんだろう
と 不安に なっていると・・・
おとこのこの 声が した
「あたまを なくしちゃったってのは、ほんとうかい?」
「ほんとなんだ・・・あたまを さがすのを てつだって くれないかなあ」
「おじさんの あたまは、どんな あたまだったんだい?」
おとこは おとこのこに 聞かれるままに
あたまを 思いだした
おじさんの あたまは
ふつうサイズで
かたちは まるい
いろは ピンクで
だんごばな
そらいろの めは やさしくて
せせらぎのごとく きらきら かがやき
まゆは ゲジゲジ うすちゃいろ
てんねんパーマの くもなす かみ
ちょっぴり おおきめの よくある みみ
でっかい くちに
きれいな は・・・
そして
おとこのこは ポケットから ぼろきれを とりだし
右手に まきつけた
「おじさん、よういは いい?」
「いったい なにを はじめるんだ?」
とっぴん ぱらりの ぼっかーん!

そう いうなり、
おとこのこは、まるたの あたまを ぶんなぐった
めまいと いたみが からだを かけぬけ
おとこは、おもわず 目を あけた
すると、そこは ベッドの なか
おとこの あたまが ちゃんと もどって いた!
・・・
カフカの『変身』や、シャミッソーの『影をなくした男』のようなはなしでした。『変身』は、グレゴール・ザムザが、ある日突然、毒虫になり、家族から見放されていく悲劇を描いた不条理文学でした。また、『影をなくした男』は、目先の利益にとらわれ、灰色の男に影を売ってしまうはなしですが、アイデンティティを失った男の悲劇です。
『あたまをなくしたおとこ』も、こうした作品と同様に、奇想天外なストーリーですが、疎外感やアイデンティティ・人間関係の喪失といった悲劇よりも、ユーモアと笑いが際立っています。おとこは、あたまをなくしても、カボチャやニンジンを頭にして、祭りに出かけています。周りの人物たちは、おとこを誹ったりしていません。また、おとこの顔の造作を説明するくだりは、つみあげ唄のような、男とおとこの子のリズミカルな会話で描かれています。おとこの子のパンチで、夢から目がさめるというオチもありました。
それでも、おとこは、また読者も何かを学んだことと思います。
マックロスキーの描く人物は、表情が豊かで、動きがあります。また、祭りの場面が魅力的です。へびの油を売るテキや、ピエロ、大道芸、見世物小屋、輪投げ、観覧車、メリーゴーランド、ヒョウ。オオカミ、トラなどが描かれています。アメリカでの初版は1942年です。
・・・
※『あたまをなくしたおとこ』 クレール・H・ビショップ文、ロバート・マックロスキー絵、もりうちすみこ訳、瑞雲舎 2011年 (2025/8/23)









