4人の人びと( 2組の親子 )の公園での話。
4人は、自分が見ている公園を、一人称視点でかたります。
あたくし、わし、ぼく、あたしの視点から。
複数の視点から、同一の対象を描く方法です。
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その4人とは、
高慢なプライドをもつ 婦人、
失意の 男性、
さびし気な少年、チャールズ。
明るいの女の子、スマッジ。
でも、なぜか、みんなゴリラ。
(アンソニー・ブラウンの世界ですね。)
婦人と チャールズは 親子。ビクトリアという血統書つきの犬と一緒。
男性と スマッジも 親子。 アルバートという犬と一緒です。
4人にとって、公園はちがって見えています。
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1.
高慢なプライドをもつ婦人(赤い帽子)には、危険で不愉快な公園です。
ビクトリアを はなしてあげましたのよ。そしたら、なあんてことでしょ、うすぎたない クソ犬(スマッジの犬、アルバート)があらわれまして・・・
(いなくなった息子のチャールズを見つけて)
見つけました。うすよごれた子ども(スマッジ)と、話しているのを。
2.
失業し、失意の男性(スマッジの父親)には、うす暗く陰気な公園。
そろそろ、出かけようかい。むすめのスマッジと、犬を公園に つれていってやらにゃ。・・・わしにも、こいつの(犬のアルバート)の半分でも元気がありゃあな。
3.
さみし気な少年(チャールズ)には、退屈な公園。でも、スマッジに会って楽しい公園に。
ぼくは、木のぼりがとくいだ。その子に、のぼり方を教えてやった。なまえは、スマッジだって。へんななまえ・・・でもね、その子・・・ほんとうに、かっこいいんだ。
4.
明るく元気な女の子(スマッジ)とって、公園は友達とあそぶところ。
あたし、この子にあそぼって、言ったの。ちょっとびっくりしてたかな。でも、ことわらなかった。・・・・それから、みんな(犬たちもいっしょに)で、野外ぶたいで、あそんだの。ほんとたのしかった。
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語り方(話体)、
公園の風景、
絵のタッチ、
活字書体(その違いは4つの絵をご覧ください)が違っています。
見るものによって違う世界を、作者のブラウンは、このように表現しました。同じひとつの公園なのに、わたし(主観)が見た公園(客観)の姿です。事実は、わたしの目と心を通して切りとられてきます。情(主観)と景(客観)は一体です。
また、親たちは、お互いの存在に関心を持っていませんし、交わりもしません(最初の絵)。4人は、ばらばらのように見えます。しかし、チャールズとスマッジは、いっしょに遊びはじめています。ふたりはいっしょに遊ぶことで、あたらしい関係をつくりました。「 すべり台に 乗らない ? 」「 まあ、いいか 」と言って。ふたりの この自然な振る舞いに 未来が見えるような気がします。
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※『 こうえんで … 4つのお話 』 アンソニー・ブラウン 作、久山 太市 訳、 評論社 2001年 (2016/6/15)
【追記】
絵には、たくさんのしかけ、遊びがあります。読み返すたびにあたらしい発見があることでしょう。