能「隅田川」の物語、
わが子をさらわれた母の物語です。
母はひとり、都から遠く東の国へと旅立ちます。
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平安京時代の、
京の都。
ある日、
梅若丸という男の子が、消えていなくなりました。
さらわれたのでした。
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母は、
都じゅうをたずね歩き、梅若丸をさがします。
「逢坂の関をこえていった」と聞くと、
母は、
ひとり東国へ。
その必死の姿からか、
芸を売る身ゆえか、
ひとびとから、「もの狂い」と呼ばれるようになっていました。
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武蔵の国、
隅田川の渡し。
母が、渡し船に乗ろうとすると、
「もの狂いなら何か狂ってみせよ」と船頭が言います。
母は、『伊勢物語』の故事を思い出し、在原業平になぞらえて、浮かれ戯れます。
そして、
船に乗り、
しばらくすると、
むこう岸から、鐘の音が聞こえてきました。
「人を弔う大念仏」だと船頭は言い、かなしい話をきかせます。
去年の三月、隅田川のほとりに見捨てられた
おさな子。
もう、だれが見ても助からない命。
その子は「わたしは、都は北白河の、吉田の子…」と言い、
息をひきとったと言うのです。
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母は、
わが子の死を知り、涙にくれました。
梅若丸の塚で、何千回何万回と念仏をとなえます、
すると、
不思議な事がおこりました。
かげや形のあやふやな少年が、
念仏をとなえながら、母の前にあらわれました。
「梅若丸、あなたなの!」
「お母さん…」
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しかし、
梅若丸のかげは、
母の手をすりぬけ、
明け方の空に消えてしまうのでした。
世阿弥の長男、観世十郎元雅によって書かれた能「隅田川」です。
語り手の人物に対する呼称は、「都に住む女の人」「旅なれぬ女」「女」以外は、すべて「母」になっています。「母」という3人称の呼び名から、外から見ているように語られていますが、読者はこの「母」に同化し、わが子を探す「母」の悲しみ、苦しみを体験します。しかし、なんともやりきれない、救いようのない結末です。この先、この「母」はどうなったのでしょうか。行く末を考えざるをえません。
また、わが子をさがす母の必死の思いと行動が、美しく品があり、どことなく静謐な日本画で描かれています。華やかな母の姿から、京から隅田川までの長旅で、疲れ、やつれ、絶望していく母の変わりようが美しく描かれています。それが心をうちます。
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※『隅田川 愛しいわが子をさがして』 片山清司作、小田切恵子絵、BL出版 2006年
【追記】
『伊勢物語』の「東下り」の在原業平の歌。
名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと
「母」に寄り添って見れば、歌に託して自分の境遇と思いを語っているとわかります。また、外から見れば、『伊勢物語』を引用する「母」の教養の高さが表現されています。 (2020/9/6)