ふるはしかずおの絵本ブログ3

『にんじんのたね』- それは「希望の種」

ルース・クラウスとクロケット・ジョンソンの夫妻の絵本『 にんじんのたね 』(The Carrot Seed 1945)。おとこのこがにんじんの種を蒔き育て、にんじんができるといういたってシンプルなおはなしですが、70年以上もアメリカで愛されてきました。
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にんじんの たねを ひとつぶ、
おとこのこが つちに まきました

お母さんが いいます。
「めは でないと おもうけど」
お父さんも いいます。
「めなんか でないと おもうよ」
お兄さんも いいました。
「めなんか でっこないよ」

でも、
まいにち、
草をとり、
水をかける おとこのこ。
しかし、なんにも でてきません。
みんなは なんども いいます。
「めなんか でっこないよ」
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それでも、おとこのこは、草をとり、水をかけます。
すると、
ある日
にんじんの めが でて
おおきな にんじんができました。
語り手はいいます。
ほらね、
おとこのこが
おもっていた とおりに
なったでしょ

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おはなしはこれだけ。
おとこのは一言もいいません。芽が出ることを信じています。そして、にんじんを育てるために、まいにち、草をとり、水をかけてあげます。それがおおきなにんじんを育てることになりました。にんじんの種を「希望の種」と意味づけてみます。おとこのこは「種の蒔く人」であり育てる人です。このように解釈してみますと、『 にんじんのたね 』に宗教的な深い意味を見出すことが出来るかもしれません。
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この絵本には旧訳(『ぼくのにんじん』渡辺茂男訳)があります。旧訳は、一人称視点(「ぼく」)からおはなしが語られていますから、読者は「ぼく」に同化して読んでいきます。一方、新訳のタイトルは、原題通り『 にんじんのたね 』(The Carrot Seed)です。語り手が、おとこのこと家族のことを外側から語ります。そして、時々「そうなの なんにも でてこない」「ほらね・・・なったでしょ」と自分の意見をはさみます。読者は、語り手に誘われるようにして、おはなしを外側から見るような体験します。旧訳の『ぼくのにんじん』に比べると、「ぼく」ではなく、「にんじんのたね」により強く光が当たっていることに気づきます。このことによって「たね」 のもつ象徴性がより強調されたように思います。
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※『 にんじんのたね 』 ルース・クラウス作、クロケット・ジョンソン絵、小塩節訳、こぐま社 2008年  (2019/2/2)

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