朝鮮の昔話です。
「さんねん峠」で転ぶと、3年しか生きられないと言い伝えられています。
さんねん峠で ころぶでない
さんねん峠で ころんだならば
三ねんきりしか いきられぬ
ある日、
おじいさんが、さんねん峠で転んでしまった。
おじいさんは、まっさおになり、
家にかえると、おばあさんにしがみつき
「三年しか いきられぬのじゃあ!」とおいおい泣きました。
具合が悪くなり、
ついには、寝込んでしまいました。
ある日のこと。
水車屋のトルトリが見舞いにきます。
「じいさんのびょうきは きっとなおるよ」
「どうすれば なおるんじゃ」
すると、トルトリは言います。
「一どころぶと、三ねんいきるんだろ。」
だから・・・
二どころべば 六年。
三どころべば 九年。
四どころべば 十二年。
「なんどもころべば、うーんと ながいき できるはず」
・・・
おじいさんは布団から跳ね起き、
さんねん峠で
ひっくりかえり、
しりもちついて でんぐりがえり
ころりん ころりん
すってん ころり
ぺったん ころりん
ひょいころ ころりんと
ころびました。
「わしのびょうきは なおった。百ねんも、二百ねんも、ながいきができるわい」
そして、おじいさんと おばあさんは しあわせに 長生きしたということです。
・・・
「機転 / 気転」という言葉があります。「機」(場・状況)を「転ずる」心の働かせ方ですが、ここにも「 機転 / 気転 」の働きが見えます。
さんねん峠で転ぶと「三年しか生きることができない」ということを、「三年生きられる」と解釈したトルトリの知恵が「じいさんのびょうき」を救いました。それは「禍」を「福」に一変する知恵でした。「禍福は糾える縄の如し」という諺があります。しかし、 『さんねん峠』の場合、「禍」を「福」に変えたのは、気を転じ状況を変えるトルトリの考え方でした。 気を転ずることで、機を転 じたのです。それは、トルトリの例に見るように私たちの主体性のいかんにかかっているとも言えるでしょう。
また、ある意味、怖い話でありながら、おじいさんがそのさんねん峠を「すってん ころり ぺったん ころりん 」と転がる面白い場面もあります。シリアスな場面とコミカル場面、おじいさんの心配顔と安心し満足した表情がおはなしの展開の中でひとつになっています。こうした構成が読者のゆたかな体験を創造します。
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※『さんねん峠』李錦玉作、朴民宜絵、岩崎書店 1981年 (2021/3/6)