![](https://ehon.furuhashi-kazuo.com/wordpress/wp-content/uploads/2023/01/-e1675136305274.jpg)
今一度 戦争について考えます。
・・・
戦争の激しかったころです。
幼いゆみ子が さいしょに覚えたことばは、
「一つだけちょうだい」でした。
食べるものの乏しく、
もっともっとと、欲しがるゆみ子に
おかあさんは、
「一つだけよ」と言って、自分のぶんから、一つ分けてくれるのでした。
「一つだけ・・・。一つだけ・・・。」
それが、ゆみ子の口ぐせになってしまいました。
ゆみ子のおとうさんも、戦争に行かなければならない日がきました。
見送りの日、
ゆみ子は、「おにぎり、一つちょうだい」と言って、
駅につくまでに、みんな 食べてしまいました。
それは、お父さんのためにつくった おにぎりでした。
![](https://ehon.furuhashi-kazuo.com/wordpress/wp-content/uploads/2023/01/一つの花① 画像-1024x595.jpg)
そして、
汽車が入ってくるときになって、
ゆみ子の「一つだけ ちょうだい」が はじまりました。
「みんな、おやりよ、かあさん、おにぎりを・・・」
「ええ。もう、たべちゃったんですの・・・」
「一つだけ・・・。一つだけ・・・。」
ゆみ子は、泣きだしました。
おとうさんは、
プラットホームの端に、
忘れられたように咲いていた コスモスの花を 摘んできました。
それを ゆみ子に渡しました。
「一つだけの お花。だいじにするんだよう・・・。」
それから、10年がたちました。
ゆみ子は、おかあさんと ふたり暮らしです。
お父さんの顔を おぼていません。
今、
ゆみ子が暮らす、ちいさな家は、コスモスの花に つつまれています。
![](https://ehon.furuhashi-kazuo.com/wordpress/wp-content/uploads/2023/01/一つの花② 画像.jpg)
ゆみ子が最初に覚えたことば「一つだけ ちょうだい」は、やはり異様な感じです。切ない感じです。「ちょうだい」「もう一つちょうだい」とは、子どもは言うでしょう。しかし、「一つだけ ちょうだい」という言葉を使ったということは、忘れてはならないことだと思います。戦争がここにもあらわれています。
また、最後の場面に、「ミシンの音」という言葉が3回でてきました。戦後の一時期を象徴する音、平和な世界を感じさせる音です。
絵のことですが、ゆみ子、おとうさん、おかあさんには色がつけられていません。背景はしっかりと描かれているのに、白抜きで描かれています。象徴的な描き方です。ゆみ子のような家族が多くいたことを暗示しています。
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※『 一つの花 』 今西祐行作、鈴木義治絵、ポプラ社 1975年 (2023/2/4)