第二次世界大戦の直前、
699人のユダヤ人の子どもたちの命を救った イギリス人のニッキー(1909-2015)。
助けられた 少女ヴィエラ(1928-)。
戦後 ふたりは 劇的なかたちで 再会します。
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1938年12月
銀行員のニッキーは、
ドイツ軍が侵攻してきた チェコスロバキアから、
「プラハにきてくれ」と友人から よばれます。
ヴィエラは10歳。
プラハ近郊の小さな町で 家族と暮らしていた
ユダヤ人でした。
チェコスロバキア共和国は、できたばかりの国でした。
ニッキーは、子どもたちを難民として イギリスに 逃がすことにしました。
子どもたちの リストを つくり、
顔写真を 用意し、汽車の のりつぎを 調べます。
1月イギリスにもどり、
子どもたちを 受けいれる家族を さがす広告を だしました。
急がなければなりません。
1939年3月
ナチスは、チェコスロバキア全土に せめこんできました。
ヴィエラは 町を出ます。
おとうさんは、日記帳を あげました。
76人の子どもたちが 汽車に 乗り込みました。
ロンドンに到着するのに、3日3晩 かかりました。
春と夏の間
8本の汽車が プラハを 後にしました。
669人の子どもたちが ロンドンに 着きました。
9月1日 ドイツ軍が ポーランドに せめこみました。
250人を乗せた 9本目の汽車は 出発することが できませんでした。
ニッキーは 子どもたちの書類を しまい込みました。
ヴィエラは 毎日 日記をつけました。
戦後
ニッキーの 奥さんが、
書類を 見つけたことが きっかけで
ニッキーは、テレビ番組(「これが人生だ」)の ゲストに呼ばれました。
番組のなかで、ニッキーを 囲む人たちがいます。
みんな ニッキーに いのちを救われた人たちでした。
ヴィエラも そこに いました。
ニッキーは言います。
わたしは英雄ではありません・・・
やるべきことがあったから、やっただけです。
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669人の子どもたちを逃し、その命を救った「静かな英雄」ニコラス・ウィントン。実話です。彼は、書類を偽造までして、子どもたちをイギリスへ逃すために奮闘しました。2014年、「あなたの人生は、他の何よりも、人間性や愛他主義、勇気、慎み深さの手本となるものだ」と大統領から称えられ、チェコ共和国最高位の勲章が授与されました。
9本目の汽車は、第二次世界大戦(1939-1945)が9月1日にはじまり出発できませんでした。その列車で避難する予定だった250人中、生きのびることができたのは2人だけでした。
日本の杉原千畝氏のような人が、イギリスにもいました。
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※『ニッキーとヴィエラ ホロコーストの静かな英雄と救われた少女』 ピーター・シス作、福本友美子訳 BL出版 2022年 (2024/12/16)