第二次世界大戦中
アメリカに暮していた 日系人は、強制収容所に 収容されました。
サンディエゴ市立図書館の司書
クララ・ブリードさんは、
強制収容所に いれられた 子どもたちに
何年にも わたって、本や 日用品を 送り続けました。
実話です。
・・・
駅に 見送りにいった ブリード先生は、
子どもたちに
カバンいっぱいの 本と 葉書を わたしました。
「おたよりをちょうだい。ひつような物が あったら、知らせてね」
葉書は 次々と きました。
ブリード先生は
本と 葉書で
いっぱいの箱を いくつも 送りました。
子どもたちの ところまで 行きました。
雑誌に 記事も かきました。
図書館や学校に 質問の手紙も だしました。
子どもたちと 家族は、
アリゾナ州の砂漠の真ん中の 施設(1942年5月 開設)に うつされました。
ブリード先生は、いろいろな 日用品も 送りました。
植物のタネ
ぬいものの糸
せっけん、
モール
クレープ紙
えんぴつ
のり・・・
戦争が おわりました。
キャサリン・タサキたちは、
家に帰るのが 待ちきれません。
ふるさとの サンディエゴへ
クララ・ブリードさんのもとへ。
・・・
あらすじでは省きましたが、子どもたちの葉書が 18通レイアウトされています。
感謝の手紙、感動した葉書でいっぱいです。生活環境についても語っています。
ブリード先生 食料は、おなかいっぱいになるには とてもたりません。
この2か月というもの、バターも たまごも 食べていません。 かしこ
ルイーズ
ブリード先生
先生が、愛にきてくださった日を ぜったい、わすれません。
心からのかんしゃをこめて、ルイーズ・オガワ
彼らの苦労を思うと、胸が痛みます。過酷な環境のなか、彼らは生き抜きました。強制収容所には、12万313人が収容されました。また「逃亡者を防ぐために有刺鉄線のフェンスで外部と完全に隔てられている上、警備員の銃口は常に収容所内部に向けられて」(ウィキペディア「日本人の強制収容」)いました。
「読書は、はかりしれないほどゆたかな、心の糧である」
クララ・エステル・ブリード
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※『わたしに手紙を書いて 日系アメリカ人強制収容所の子どもたちから図書館の先生へ』 シンシア・グレイディ文、アミコ・ヒラオ絵、松川真弓訳、評論社 2020年 (2024/9/25)