
ADHDで字が読めなかった作者の自伝的な絵本です。
絵本から、「カリズマティック・アダルト」ということを学びました。
ぼくは
じょうずに本が 読めない。
字が ぐにゃぐにゃ曲がった線にしか 見えない。
おかげで、
放課後ものこって、勉強だ。
「か・か・かげ
クモがクモの糸の う・うえを す・す・すべ・すべ・・・」
「まいにち放課後、がんばって勉強しましょう」
と、リトル先生は言った
だから、ぼくはそれがいちばんいやなんだってば !
リトル先生が
与えてくれた本は 『ちいさな島』という絵本
ぼくは その絵が すきだった
ぼくは
この本に どんどん のめりこんでいった
字さえ読めれば、いろんなことが わかるんだ
ぼくは 知りたくて、たまらなくなった
だって
絵を見てるだけじゃ、島のすべてがわからないから
ぼくは、声にだして 本を読みつづけた
先生が 言っていたのは・・・
「ことばを ひともじずつ、声にだしてよんで」
「ゆっくりやって」
ということだけ

やっと、本を読みおえたとき
ぼくは、この島にいけるかもしれない、と思えるくらい
島のことが わかるようになった
「先生、あしたは ほかの本をかりてもいい?」
「もちろんよ」
ぼくは 字をよむことが、どれだけ楽しいかを しった
だって 本を読めば 世界中を たんけんできる
読めるようになったのは、ぜったい先生のおかげだ
あれから 何年もたって
ぼくは、リトル先生に ぼくの本をおくった
「先生、ぼくがあなたからおそわったのは
字をよむことだけではありません。
自信や知識・・・
いや、生きることそのものを おしえてもらいました」
・・・
ADHD障がいを持ったダグラスが、あらすじでは、すぐに文字を学んだようにみえますが、文字を読めるようになるまでに、かなり苦労し努力しました。
おはなしは、このダグラスが主人公ですが、私にはリトル先生も主人公です。かれを根気よく指導したリトル先生のはなしでもあるように思います。
訳者のあとがきのなかに「カリズマティック・アダルト」のことが指摘されていました。カリズマティック・アダルトとは、耳慣れない言葉ですが、子どもの成長におおきな影響をあたえる大人のことです。親、教師、祖父母、施設の職員、里親などが、カリズマティック・アダルトの役割を担います。
ダグラスの可能性を信じ、励まし、安心感を与えた先生は、ダグラスのこころの支えでした。まさに「カリズマティック・アダルト」です。
リトル先生の言動から、教師の役割について再認識しました。教師は、教えるだけでなく、子どものこころを支える存在であることが大切です。子どもに共感する、信じるこころの大切さを学びます。
・・・
※『よめたよ、リトル先生』 ダグラス・ウッド作、ジム・バーク絵、品川裕香訳、岩崎書店 2010年









