らくごの滑稽話「粗忽長屋」の絵本です。
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浅草寺の仁王門の前に 人だかりがしています。
「いきだおれだよ」
八五郎が いきだおれを 見ると
「くくく、熊のやろうだ
おい、しっかりしろ」
「知り合いなら お前さんが ひきとってくれないかな」
「こうしましょう、ひとまず 当人をつれてきます」
「なんだい、当人って?」
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八五郎は、熊のところに 急ぎます。
「おい、熊!
お前は、ゆうべ、浅草でもって 死んでるよ!」
「俺が? 死んだような心持は しねえぞ」
「俺は、この目で 見てきたんだ。まちがいねえんだよ・・
死体を ひきとりにいくんだ」
「だれの?」
「お前のだよ」
「俺が 俺の 死体をひきとりにいくの?」
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ふたりは 観音様の仁王門に もどります。
「当人をつれてきました!」
「やれやれ、かわったひとがが ひとり ふえちゃったね・・・」
「兄貴・・・、これが俺か」
「そうだよ」
「顔が 長いんじゃないの?」
「夜露にあたって のびたんだ」
「・・・あ、あーっ! これ、俺だ!」
「そうだろ 泣くな泣くな」
「よーく ごらんなさいよ。
お前さんじゃないんだから、ね」
「うるせえな、当人が見て、自分だって 言ってんだ
まちがいねえや」
「うううっ、でも兄貴。
なんだか わからなくなってきちゃった」
「なにが?」
「だかれているのは、たしかに俺だが、
だいている俺は、いったい だれだろ?」
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ゆきだおれの人間を熊五郎だと思い、本人に確かめさせると言う、なんとも間の抜けた八五郎です。熊五郎も「死んだ心地はしない」ととぼけたことを言い、自分の死体をいっしよに引きとりに行く人物です。落語に、うってつけの粗忽者たちです。笑える落語ですが、最後のオチはシュールです。八五郎と熊五郎の会話は、不条理劇のようです。
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※『そこつ長屋』 野村たかあき文・絵、柳家小三治監修、教育画劇 2019年 (2024/8/11)