ふるはしかずおの絵本ブログ3

『こころの あな』- どのようにうめたらよいのでしょうか 

「こころの あな」とは、おとうとを失ったぼくの喪失感を表現しています。

  

    

家の いろいろな場所に あなが ある

マッティーが、ねていた ところ

洗面台の いす

おかあさんの 仕事机の よこのいすにも

あなが ある

 

あなは どこにでも ついてくる

学校にも

   

友だちの心にも あなが ある

おばあちゃんの おばさんの おとうさんの あな

  

   

ぼくは、あなが いつもより ちかづいた気がして

あなを みつめていた

 「おーい」と あなに むかって さけんだ

 「おーい」と、あなから へんじが あった

   

    

ぼくは あなに かたあしを いれて、

おおきく いきを すいこんだ

   

したへ

したへ

したへと おちて いく・・・

  

    

あなの なかは かたくて、さむかった

ぼくは かなしかった はらもたったんだ

    

 なんで マッティーなの?

 なんで? なんで?

 どうして?

 ぼくには おとうとが ひつよう、なんだ!

   

    

ものすごく ながい時間

あなの そこに すわっていたと思う

友だちの ノラが あなの うえから 手を さしのべてくれた

   

 「おとうとくんのこと おはなししたい?

     

ぼくは、

ノラに マッティーのはなしを したんだ 

海賊ごっこを したこと

チョウチョとアイスクリームが すきだったこと

ゾウのことは なんでも しっていたことを

      

       

ばんごはんのとき

ぼくは スプーンを はなからぶらさげて

パオーンと ぞうの鳴きまねを してみた

おとうさんも おかあさんも まえみたいに わらってくれた

  

    

 あなのことは もう そんなに いやじゃなくなったんだ

 マッティーを おもいだすことで、いつでも あなを

 うめることが できるって わかったからだよ

       

          ・・・

おとうとのマッティーを亡くした、ぼくの喪失感に寄り添う絵本です。

「あな」はなくならないが、「あな」をうめることができる、とわかったのは、だまって話を聞いてくれるノラのような人物が、そばにいてくれたこともあるでしょう。また、ぼくは、「あな」のなかに落ちていきましたが、「あな」の底で、ぼくは「あな」と向きあっています。悲しさ、怒り、おとうとへの恋しさ、さびしさ、不安など自分のほんとうの気持ちを吐きだしています。
     

悲しみや喪失感は、親しい人との死別だけでなく、仕事や健康の喪失、ペットの死など、さまざまな場面でおこります。〈グリーフケア〉という支援があります。

   

    

 「あなは・・・大きくなったり小さくなったりして、あなたとともにいます。

  あなは、その人が生きた証で、グリーフは本当に愛した証

  あなたの人生の軌跡といえます」   (訳者の「あとがき」)

     

      ・・・

※『こころの あな』 リンジー・ボニア文、ブリジダ・マーグロ絵、東菜奈訳、岩崎書店 2025年 (2025/10/24)

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