ずっと くらい あなのなかで はたらいて きたんだ
しんだら うみの みえる
あかるい ばしょに うめてくれ
炭鉱で
はたらいてきた 祖父の言葉です。
舞台は、1950年代のカナダの ケープ・ブレトン島。
祖父、父、ぼくの3代の 家族のきずなを えがきます。
・・・
ぼくの うちからは 海が 見える。
ぼくの とうさんは 炭鉱で はたらいている。
炭鉱は 海のしたに ある。
くらい トンネルで 石炭を ほっている。
ぼくは ともだちと 公園で あそぶ。
ブランコを おもいっきり こぐと
海が 遠くまで 見える。
波が しろい あわを たてている。
とうさんは うみの した
くらい トンネルで
石炭を ほっている
ぼくは、おじいちゃんの お墓に いく
炭鉱で はたらいていた おじいちゃんのお墓。
(ここに、冒頭のおじいちゃんの言葉が あります)
お墓から見た 海は おだやかで とても しずか。
夕食の時間
とうさんの顔は 石炭で まっくろだ
かあさんのつくる チキン・シチュー
じゃがいもの いいにおい
ぼくは 食器を テーブルに ならべる
夕食後
とうさんと かあさんは ベランダで
お茶を 飲みながら おしゃべりを する。
太陽が 海に しずんでいく。
ぼくも いつか 海の下の 炭鉱で はたらく
ぼくの町では、みんな そうやって いきてきた。
・・・
1950年代のカナダの海底炭鉱ではたらく、炭鉱夫の父と家族を「ぼく」の視点から描きました。家族の日常と「ぼく」の一日を描きながら、家族に対する「ぼく」の愛と誇りがみえてきます。
「海の見える、あかるい場所に埋葬してほしい」というおじいちゃんの言葉に、重いものを感じます。
ジョン・フォード監督の映画「わが谷は緑なりき」を思いだしました。19世紀末のウェールズの炭鉱町を舞台に、炭鉱夫とその家族の物語を、末息子の視点から描いた名作でした。
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※『うみべのまちで』 ジョアン。シュウォーツ文、シドニー・スミス絵、いわじょうよしひと訳 BL出版 2017年 (2024/7/26)