ふるはしかずおの絵本ブログ3

読みかたりの技術-「間」について

読みかたりの経験のある人でしたら、「間」の大切さを知っています。慣れていないと、早口になってしまい、「間」がどんどん抜けてしまいます。いわば「間抜け」なお話しになってしまいます。

 

では、「間」をおいて、ゆっくりと話したらよいのかと言いますと、そうでもなさそうです。早口よりはよいとは思いますが、「間」をとりすぎますと、お話しの流れやリズムが損なわれてしまいます。いわゆる「間のび」です。読みかたりにおいて、「間抜け」も「間のび」も子供たちの想像力をかきたてるものではありません。

そこで、読みかたりにおける「間」について、実例をふまえながら書いてみることにします。

  

        ※      ※      ※ 

 

「間」の取り方というのは、休止のことです。この休止については、「論理的休止」と「心理的休止」があると言ったのは演出家スタニスラフスキー(『俳優の仕事』千田是也訳、理論社)です。

   

スタニスラフスキーによりますと、「論理的休止」とは「いろいろの小節や文を機械的に分けて、その意味をはっきりさせる」休止のことです。文章には句読点がありますが、それが意味のひとまとまりをつくっています。論理的休止とは、句読点のところに置かれる「間」のことです。

  

 もうひとつの「心理的休止」とは、「思想や文の言語小節に生命を吹きこみ、その台詞の裏にあるものが、そとにあらわれるようにする」「間」のことです。「休止」の場合には、しぐさなどの身体的表現も含まれますので、正確さには欠けますが、スタニスラフスキーの「休止」を「間」に読み替えてよんでみます。     

      ・・・      

『おおきなかぶ』を例にとります。

「おじいさんが  かぶを  ぬこうとしました。『うんとこしょ  どっこいしょ』・・・・」 というところで、「間」をとります。「うんとこしょ  どっこいしょ」という言い方は、おじいさんが力を込めてかぶをぬいている様子です。それにつられて、読者の方も思わず力がはいってしまいます。「ぬけるかな」という期待が高まります。

このような「間」を置いてから、「ところが  かぶは  ぬけません」というふうに語りますと、その場のイメージに力を感じていた分、抜けないという事実との落差に意外性を感じていきます。それが楽しく面白い読みの体験です。このような「間」が「心理的休止」です。

「心理的休止」とは「いつも能動的で、ゆたかな内的な実質をもっている」「雄弁な沈黙」なのです。また、スタニスラフスキーは「論理的休止が、理性に奉仕するのに反して、心理的休止は、感情に奉仕する」とも言っています。二つの「間」を手がかりにして具体的な作品にあたっていきます

   

       ※      ※      ※       

   

はじめは、論理的な「間」です。

この「間」は句読点の位置に置かれると言いましたが、その第一は、主語と述語部のあいだ、文の終わりに置かれる「間」です。    

   

    おじいさんが  かぶを  うえました。 (『おおきなかぶ』)

   

文の終わりで、「間」を置きます。お話しには、ゆっくりとはいりたいものです。それが読者の理解を助けます。また、読者の参加を促すことになるでしょう。

また、「おじいさんが・・・」 というところで、 すこし「間」をおいたらどうなるでしょうか。 この少しの「間」が、 おじいさんを強調し、 おじいさんが次にすることへの期待を高めることになるでしょう。 次にすることは、もしかしたら狩りに出かけることかもしれません。 また、 食事をすること、 散歩、 本を読むことだったかもしれません。 つまり、何でもよかったはずです。 しかし、 このお話しでは、 数多く考えられる行動の中から、 「かぶを うえました」 が選ばれました。 お話しへの理解や興味をひきだすための 「間」です。ここは「おじいさんが ・・・ 」で少し「間」をとり、「次になにをするのかな」という期待をもたせ、そのうえで「かぶを  うえました」と続けるのがおもしろいようです。

       ・・・

第二例は、文と文のつながりを意識して、その間に置かれる「論理的な間」です。文と文の間にありますから、「文間の間」とでも言っておきましょう。

   

 そこで  ぼうしうりは、あんしんして  ねむりました

   ながいこと  ねむりました。

    めがさめたとき、つかれはとれて  きぶんは  さっぱりしていました。

  

          『おさるとぼうしうり』スロボドキーナ、松岡享子訳、福音館書店

「ながいこと  ねむりました」とありまから、ここに「間」が置かれるのは、見やすいところです。これは、時間経過を表す「間」です。『おさるとぼうしうり』は、「間」を生かして読むといきいきとして来ます。読みかたりの楽しい絵本です。

同じ例は、『おおきなかぶ』にも見られます。かぶを植えたおじいさんは、「あまい あまい かぶになれ」と願いをかけています。読みかたりでは、この文のあとに、少し「文間の間」を置く必要があります。次の画面の「あまい  げんきのよい  とてつもなく  おおきい  かぶが  できました」との間には、時間の経過があるからです。これは「間」によって表現されなければなりません。これを「テキストに指定された論理的な間」と呼んでおきます。

       

       ・・・   

    にじいろの  ゼリーのような  くらげ・・・・

    すいちゅうブルドーザーみたいな  いせえび・・・・

    みたこともない  さかなたち、 みえない  いとで  ひっぱられてる・・・・

    ドロップみたいな  いわから  はえてる、こんぶや  わかめの  はやし・・・・ 

    うなぎ。かおを  みる  ころには、しっぽを  わすれてるほど  ながい・・・・

    そして、 かぜに  ゆれる  ももいろの  やしのきみたいな  いそぎんちゃく    『スイミー』 レオ・レオーニ 、谷川俊太郎訳(好学社)

  

絵本を読み、イメージの世界を体験するというのは、時間的なプロセスにおいてです。絵画の鑑賞とは違って、ひとつひとつの言葉や文を読み、絵を見ながら、イメージをつくっていかなければなりません。 読みかたりによって創造される絵本の時空間は、この「間」によって変幻自在に伸び縮みしていきます。  

 

『スイミー』のこの場面は、そのよい例です。  この場面は、仲間をなくしたスイミーが、次第に元気を取り戻していくところですから、海の底の生き物たちのおもしろさを、スイミーとともにゆっくりイメージ体験してほしいところです。文末の ・・・・ が、 余韻をひきだしていますので、 「間」をとって読んでみてください。 読み手が、文と文の間を意識的にひろげてつくりますから、これを「読み手がつくる論理的な間」と言っておきます。

       ・・・

絵本は、 このわずかな文章に6つの絵をあてています。絵本を見る時間が、絵本体験の時間を引き延ばすように構成されています。「文間の間」と絵本を見る時間とによって、この場面の時空間はかなりゆったりとした流れになりますので、読み手もそれを意識して読んだ方がよいようです。言い換えますと、読み手は絵本時間の流れを自在に操作できるということです。テレビや映画ではこうはいきません。

  

ところで、これらの「間」の働きは、「文節や文の意味を明確化する」だけでなく、読者のイメージの体験を強調するものとなっているように思われます。「心理的な間」と言ってもよいような「間」もあります。論理的な間と心理的な間は、言葉ほどには、実際上、明確に区分できるものではありません。

  

論理的な間は、ふつう句読点の位置でとりますが、畳み込むように読んで、それを取らないこともあります。また、句読点のないところでも、論理的な間をとって意味のくぎりをはっきりさせた方がよい場合もあります。『かにむかし』(木下順二作、岩波書店)のような息の長い文章は、この「間」のとり方でわかりやすくなりますし、リズムやテンポも生まれます。

   

       ※      ※      ※    

    

つぎは、心理的な間です。

「心理的な間」とは、お話しに生命を吹き込むような「間」のことでしたから、一般的な規則はないようです。読み手のねらいや工夫によって様々です。そこで、いくつかの絵本を用いて、その効果について考えてみることにしましょう。

第一の例は、『ろくべえまってろよ』(灰谷健次郎文、長新太絵、文研出版)です。穴に落ちたろくべえを、5人の一年生が力をあわせて、救出するお話しですが、そこから二つの文章をとります。まず、かんちゃんが穴に下り、ろくべえを助けに行く、と言ったときのおかあさんの台詞から。

  

    「ゆるしません。そんなこと。」

    かんちゃんの  おかあさんは、こわい  かおを  して、いいました。 

    「ふかい  あなの  そこには、ガスが  たまっていて、それを  すうと、しぬとだって  あるんですよ。」(・・・・)

    みんな、かおを  みあわせました。  

   

引用中の(・・・・)は、 私が入れた「間」を示す記号ですので、 本文にはありません。 ここに「死ぬ」という強い言葉がありますので、この後に「間」を置く必要があるでしょう。事態を受け止めかねている子どもたちの驚きが見えるようです。その言葉は、ずさりと胸にささる言葉だったはずです。ですから、みんな、顔を見合わせたのでした。この場面の「間」は、聞き手に不安なイメージを引き起こすところです

 

第二の例として、クッキーという犬をかごに乗せて下ろす場面をあげます。

  

    クッキーを  かごの  なかに  いれました。  

    そろり、そろり。    

    そろり、そろり。

    そろり、そろり。

    そろり、そろり。

    ぐらっ。

    「あっ。」

    もう、すこしで  おちそうでした。

    あぶない。

    あぶない。

    やっと、つきました。

   

「そろり、そろり」の4回のくりかえしによって、読者の期待と不安と緊張は、否応無しに高められます。ここは、ゆっくりとした流れのなかにも、はりつめた緊張感のある調子が必要です。「間」の生きる場面です。実際、絵本の文章は、「そろり、そろり」の後で、画面転換がおこなわれています。また、行間も広くとってあったり、絵が文章のあいだに配されるなどの工夫が見られます。そして、この行間が「心理的な間」になっています。

これを「テキストに指定された心理的な間」と呼んでおきます。

   

表記や画面構成を工夫して、「間」を生むようにしている例として、先の『おさるとぼうしうり』をあげてみます。ぼうしうりが昼寝をしているあいだに、ぼうしがみんななくなってしまいます。

   

    みぎをみても、

    ない。

    ひだりをみても、

    ない。

    うしろをみても、

    ない。

    きのうしろをみても、

    ない。

    ところが、きのうえをみあげると、これはまあ、どうでしょう!

    えだというえだに  おさるがいました。そして、おさるというおさるが、ぼうしを かぶっていました-ねずみいろのや、ちゃいろのや、そらいろのや、あかいのを!

  

「ない」のところは、このように行を改めて書かれています。したがって、「みぎをみても」の後の「間」を強調してみますと、次の「ない」という言葉が聞き手の心をくすぐります。読者と読み手の合いの手のようになってきます。子供たちに言わせてみるのも面白いでしょう。

  感嘆詞 (!) 、疑問詞 (?) 、沈黙点 (・・・) 、ダッシュ (-) などのあとでは、当然なことですが、「間」を置く必要があります。これらも「テキストに指定された心理的な間」の例です。

       ・・・

『3びきのくま』(トルストイ、小笠原豊樹訳、福音館)に、次のような場面があります。おんなのこが、くまの寝室へ入っていくところです。ここは、画面による分割がなされていますので、心理的な間は、表記と画面構成の両面から見事に表現されています。

   

    そこには—–  (次画面へ)

    べっどが  みっつありました

 

くまの親子は、散歩にでかけていて留守なのですが、読者はそれでも心のどこかで、くまが出てくるのではないかと不安な気持ちでいます。ですから、「そこには—-」で「間」をあけることによって、読者の不安は強められ、また「べっどが  みっつありました」で、“ああ、よかった”と一安心するのです。実にうまい工夫です。また、こうしたイメージの落差が、おはなしを聞く(読む)楽しみのひとつなのです。 

 

「心理的な間」のなかには、意味のうえでは、まだ繋がっているところでありながら、あえて、そこで「間」をおくことがあります。

同じく『3びきのくま』から例をとります。森へ遊びにいったおんなのこが、迷子になってしまう場面です。

 

    ふと  きがつくと、もりのなかに  ちいさな  いえが  ありました。 

    とが  あいています。(間 ①) 

    のぞいてみると(間 ②)だれも  いませんので、なかへ  はいりました。  

  

「とが  あいています」という現在形の表現のあとに「間 ①」を置きましたが、その場に居合わせるような臨場感があります。それに続いて「のぞいてみると」とありますので、ここで「間」をとる(「間 ②」)ことによって、次の場面への好奇心がますます高まっていきます。論理的文法的に中断する必要のないところに、こうした「間」を置くことは、読む楽しみ、聞く楽しみを増すことになるでしょう。わたしはこれを「読み手がつくる心理的な間」と呼んでいます。  

  

       ※      ※      ※

   

読みかたりにおける「間」を4つのカテゴリーに区分して整理します。


   1、テキストに指定された論理的な間

   2、読み手がつくる論理的な間

   3、テキストに指定された心理的な間

   4、読み手がつくる心理的な間

   

 読みかたりの終わったときにも、「間」が必要です。子供たちは、しばらくその世界にひたっていたいでしょうし、また、ひたらせることが望ましいからです。

   

読みかたりは、絵本や童話をことばで描いてみせることだと言えますが、そのためには、「間」だけでなく、様々な手立てがあるようです。読みのテンポやリズム、声の調子や声量、語調、語気、また、読み手の姿勢、身振り、手振り、眼差し、顔の表情まで含めて考えることができそうです。「間」は、そのひとつの要素にすぎませんが、しかし、この「間」によって、作品にひとつの生命が吹き込まれることも確かなことです。表現を生かすも殺すも、この「間」次第だと言っても、言いすぎではないように思います。この「間」をいかして、絵本の世界を表現豊かに描き出してください。

   

また、絵本の絵が「間」をうみだす面白い例が、『はなをくんくん』(ルース・クラウス文、マーク・サイモント絵、木島始訳、福音館)にあります。文だけでなく、絵本に構成されると絵も「間」をうみだします。



SHARE