ふるはしかずおの絵本ブログ3

『絵本・名人伝』-芸道の深淵とは

「山月記」で知られる中島敦の短編「名人伝」を絵本化しました。

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むかし、

趙の都・邯鄲に、

天下第一の弓の名人になろうとする、紀昌という若者がいた。

紀昌は、弓の名手、飛衛に入門した。

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まばたきをするな」と命じられた。

紀昌は、まばたきをせずに2年を過ごした。

夜、熟睡している時でも、紀昌の目はカッと大きく見開かれたままである。

紀昌はそれを師に伝えると、

飛衛は言う。

視みることを学べ」と。

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目の訓練に五年をかけた。
紀昌の腕前の上達は、驚くほど速かった。

紀昌は、さらなる名人を求めて、

霍山に隠棲する老師・甘蠅(かんよう)を訪ねた。

霍山にとどまること九年。

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ある時、老師が言った。

「射というものをお目にかけよう」。

「弓はどうなさる? 弓は?」。

老人は素手だったのである。

「弓?」と老人は笑う。

弓矢の要る中はまだ射之射じゃ。不射之射に矢もいらぬ」。

        

「甘蠅が、やがて、見えざる矢を無形の弓につがえ、満月のごとくに引絞ってひょうと放てば、見よ、鳶は羽ばたきもせず中空から石のごとくに落ちて来るではないか。紀昌は慄然とした。今にして始めて芸道の深淵を覗き得た心地であった。」(「名人伝」原文 )
      

十年ぶりに、邯鄲に戻ってきた紀昌を見て、

   

「人々は紀昌の顔付の変ったのに驚いた。以前の負けず嫌ぎらいな精悍な面魂はどこかに影をひそめ、なんの表情も無い、木偶のごとく愚者のごとき容貌に変っている。」 (「名人伝」原文 )

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旧師の飛衛は言った。

「これこそ天下の名人。」

紀昌は「弓をとらない弓の名人」として有名になった。

その後、四十年の間、彼は弓を手に取ることがなかった。

紀昌が、死ぬ一二年前のことである。

紀昌は、知人の家で一つの器具(弓)を見た。確かに見憶えのある道具だが、紀昌にはどうしてもその名前が思い出せなかった。

 

「ああ、夫子が、― 古今無双の射の名人たる夫子が、弓を忘れ果てられたとや? ああ、弓という名も、その使い途も!」(「名人伝」原文 )
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中島敦の原作も交えながらあらすじを書きました。(原文はもちろん絵本の文章ではなく私が付け加えたものです )

 

「道を極める」とはどのようなことなのか考えさせられた作品でした。「弓という名も、その使い途」を忘れ果てた紀昌は、ものそのものがあるだけの世界に住んでいます。ものの価値とは無縁の境地です。晩年の紀昌に「老荘の至人の姿」(福永武彦の解釈のようです)を見ることができるかもしれません。「老荘の至人」の行きつく姿をこの紀昌に見る解釈が一番しっくりしましたが、それだけでなく様々な解釈のできる作品です。

 

「名人伝」原作と絵本の文章は「だ・である」の常体です。歯切れが良い文章も「名人伝」の世界を形象しています。

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※『 絵本・名人伝 』 小林豊作・絵、中島敦原作、あすなろ書房、2018年  (2022/1/25)

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