ふるはしかずおの絵本ブログ3

『ねこのおんせん』- その中味が怖い

日本の不条理劇を牽引した劇作家の別役実(1937年-2020年)さんが、どのような絵本を書いたのでしょうか。

       ・・・

オムドンテ火山には、アンテパン温泉があります。

 ねこによく効く温泉です。

 3日も温泉にいれると、

 ねこは、むくむく太り、

 目はきらきらとひかってきます。

 1週間もすると、全身から火花をちらすようになるというのです。

  (その秘密は後でわかります)

     ・・・

アーバン村のナガールさんは、

 年をとり元気がない、タガールというねこを温泉に連れて行きます。

 愛するタガールのために、 

 汽車で、

 バスで、

 ケーブルカーで行き、

 五里の山道を登りました。

ナガールさんは

 ゆらゆら揺れる つり橋も渡りました。

 岩の壁ものぼります。

 タガールを思う一心で。

 真夜中に

 「やっと ついたようだよ」。

     ・・・

ドートン博士が迎えてくれました。

「ここへ きたからには、もうすぐに げんきになりますよ」

 博士は、

 ナガールさんの肩のあたりをつまんで、言います。 

 「うん、これなら 一しゅうかんは たべていけるだろう

 でも、

 それは、ナガールさんにではなく、

 ねこのタガールに向けて言われた言葉でした。

 ナガールさんは、ちょっと 気になりました。

      ・・・

温泉のねこたちは、

 ナガールさんのにおいを嗅いだり、

 舐めようとします。

「だいじょうぶですよ・・・ここでは、ほかの人の おべんとうを たべては いけないことに なっておりますから・・・」

 

ここから、二人の会話はちぐはぐです。

「お弁当」という言葉の意味がちがっています。

ナガールさんは言います。

「こいつら(温泉のねこたち)は、タガールを、わたしの おべんとうだ おもってるんですか?」

 

博士は言います。

あなたが タガールの おべんとうなんです

「なんですって……? わたしが タガールの おべんとう?」

驚いたタガールさんは、

山道を転げ落ちるようにして、逃げだしました。

いまでも、

その温泉には、

ねこが、「おべんとうを もって」では なく、

「おべんとうに かつがれて」、ぞくぞくと のぼって いくそうです。

 

       ・・・

ナガールさんの願いがかなうそのときに、ナガールさんがタガールに食べられそうになる「ねこのおんせん」でした。他者の命を助ける行為を重ねればかさねるほど、自分を否定する状況に近づくことになる。

怖いおはなしです。 Σ (゚д゚ lll )

      

学生の頃、フランス語の授業でイヨネスコの「授業」を読みました。初老の教授と女子学生の会話がどんどんちぐはぐになり、ついには教授の人格は崩壊し、ナイフで彼女を刺し殺すという、当時の私にはよくわからない劇でした。しかし、ベケットの「ゴドーを待ちながら」とならんで不条理劇の傑作といわれています。

      

『ねこのおんせん』も、ナガールさんがタガールを助けるために「おんせん」めざして奮闘するおはなしとばかり思っていたのに、ドートン博士が出てくるあたりから様子がおかしくなりました。ふたりの言っていることは明確で、よく分かりますが、会話がかみ合っていないのです。この魅力は要約では伝えきれません。絵本を手にとって読まれることをお勧めします。でも、子どもの読者は、このシュールな世界を面白がるだろうか、すこし心配です。

     ・・・

※『ねこのおんせん』 別役実作、佐野洋子絵、教育画劇 1986年  (2020/5/3)

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